苦手な人が、苦手であっても、そこまでの支障を自分の中に及さなくなった時に、
あれだけ、波だっていた感情が、最近感じられなくなっていることにさえ、気づかなくなっている時に、
卒業、お別れの出来事が起きるのだなぁと、
昨日、家族の話を聞いて、しみじみ実感した次第です。
昔、私自身も同じようなことがあったんです。
私の耳元で、私だけがいる場面で、おお、それ言う?みたいな言葉を言ってきていた上司が、
見方を変えて、ちょっと接し方を変えて過ごしていくうちに、その言動がおさまり、
気にならなくなった頃に、退職されていったという話です。
そして、送別会の際には、温かい?言葉というか、見ていてくれたのか、みたいな言葉までいただいて、
びっくりだったことを思い出しました。
あっ、でも、
出来事が卒業に至るまで待つ必要もないように思います。
確かめる必要がないというか、修行の時代ではもうないから、
自分の中で決着が着いたら、自分から辞めるという選択もあるなと思い、
数年前の私は、早々とその場から撤退したこともあります。
だって、仏様でもないし、自分に無理がかかる、自分を否定される場所からは遠かったっていいじゃないって思って。
ただ、家族は、その場所が好きだったから、より好きに、自分らしく居られる場、仲間と相乗効果で進んでいける場が作れるのかもしれないと、
よかったなと思いました。
あんなに願っていた時は起こらないけれど、起こる時は唐突で、そこに執着がなくなっている時だから、
驚きもそこまででもないという。
そんな感じの現象。
改めて、執着は横に置いといて、自分はどうしたいか、こう過ごしたいなぁ〜を感じて、大切にして過ごしていくことが、大事なんだな、
力みじゃなくて、心地よさや、楽しみが大事なんだなって思いました。
魔法使いのような?娘の写真。
親バカで、失礼します。
ではでは、ここち鳥でした〜。
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愛してます。
皆さま。
では、またー。