父親についての私の想い | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

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自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

こまり。です。

約30年前にギャンブルに狂って自己破産して夜逃げしていった父親が危篤だそうです。

ギャン父、危篤。

ギャン父夜逃げは私が中学2年にあがったばかり。丁度4月の今頃のことでした。

それまでも散々家に帰らない(行先はどうも雀荘だったらしい)→借金作る→返済に困って母親を脅す、死ぬとか死ねとか騒ぐ→金ができたらまた家を出る を繰り返してこまり家は修羅場だったので私はギャン父が逃げようが死のうがいなくなってせいせいしていました。

母親と離婚成立し、夜逃げするまでの数か月間は本当に地獄のような日々だったので
こんなつらい思いをさせる、そして逃げる父親を心の底から恨んでいました。

夜逃げとはいえ、後で聞いた話ではギャン父を闇金から「逃がす」算段を母親や父方祖母はしていたようです。
逃げる前日?だったか
もうしばらくお父さんとは会えない、あんたはもう中学生だから話すけどお父さんとお母さんは離婚したんだ。こういうことだ。最後に話すことがあればどうぞ、と無理やり別れのセッティングをされたのだけれど私は父親を睨みつけソッポを向いていました。
やっと絞り出した言葉は

「人が勉強やクラブを一生懸命頑張っているのを台無しにしやがって!」
でした。

その時の父親の返事も当時の私には怒りしかなかった。

ちょっとヘラヘラ笑いながら
「ああ、頑張ったらえいやん。なんでも。まあ、頑張りや。」

怒りと悲しみで声は出ないけど涙が止まらなかった。

あんたのせいで貧乏になった。
あんたが父親で恥ずかしい。
どんなに頑張っても貧乏で惨めでギャンブル狂いの娘で…

本当に憎かった。私の不幸は全部ギャン父のせいだと思っていた。
それからしばらくはずっとそう思って生きてきました。

だらしない親の子どもだから勉強ができないなんて言われたくない。
可哀想な家庭の子どもだと同情されたくない。
どうせ同年代の友達なんかには私の苦労は分かるはずもない。私の苦労なんか分からない人達とは友達になんかなりたくない。
私は逆境に耐えて生きてきたからみんなとは違う。みんなより大人だ。
「年齢よりもしっかりしている。大人だね。」と言われることが勲章。
幸せになることが父親への復讐。私は幸せにならなければならない。
私のように不幸な人を救いたい。


こんな考え方がその後の私を作り上げていきました。

こういう考え方がかえって幸せから遠ざけることも知らずに。

ギャン父のせいで不幸になったという思考から解放されるのには20年ほどかかってしまいました。