久しぶりに私事を。 | 「やさしい武術指導Glasswolf」講師、京呉のdarkside blog

「やさしい武術指導Glasswolf」講師、京呉のdarkside blog

厳しくない、叱らない、疲れない。
「やさしい武術個人指導塾Glasswolf」公式ブログ。

残酷な時代を生き抜くサバイバーの為の、超実戦武術。
プライベートレッスンは随時受付。

https://glasswolf.crayonsite.net/

御世話になっております。
護身術教室glasswolf局長、ケイゴです。
いつもはレッスン内容や武術についての事しか書きませんが、今回は雑記というか、珍しく私の一人ごとです。

glasswolf、途中から「硝子狼流合気道」という呼び名も加わり、始めて体験レッスンをはじめてから半年が経ちました。

一時間制レッスンでやって来ましたが、11月度からは二時間制レッスンに変更するのには理由があります。

ひとつ目、これはやはり週に一回の講習なのに一時間だけの内容では、護身術を「使える」レベルで習得する事は難しいし、やはり生徒さんからも「物足りない」との声を頂いたから。
遠くから来ていただいた生徒さんをただ一時間で返すのではなく、生徒さんの大切な二時間を頂く事にはなる代わりに少しでも、
「身についた・・・とは言えないけど身に付きそうかも、何より楽しかった」
という思いを持って帰って頂きたい。

そして二つ目。
私の武術家としての「気付き」である。

これは自慢でも何でもないが前置きとして言うと、私は今日で本職を34連勤を終えた。
つまり10月は一度も仕事を休んでいない。
正直人におすすめはしない
私は自分の護身術レッスンの方の仕事を商売としてやっているつもりはなく、格安でやりたいという気持ちと、
その辺の「なんとなく昔習った合気道とかを今教えてます」的ないい加減な講師ではなく「常に現在進行系で新しいものを取り入れながら、鮮度ある新しいものを生徒さんに提供できる講師でありたい」という気持ちがあるので新しいものを取り入れるための「勉強代」を捻出するため、

そして将来glasswolfを定期スタジオレッスンだけではなく
定期体育館稽古会も開きたい。その為に多少無理してでも働いているのだが、

やはり人間の身体は正直である。
連続勤務二週間を過ぎた頃から、頭と身体は動かなくなってくる。

心霊用語で「霊障」という言葉がある。
その名の通り「霊による個人への被害」である。

これもシンプルなもので、

常に勉学やスポーツで心身を鍛えていれば霊障による被害には遭わない。

逆に疲れていたり、心にやましい事を抱えていれば霊障を受けやすい。

と言われているのだが、つい二週間前、私は霊感もないのに近い事を体験した。

疲れがピークに達していた二週間前、
それだけではなく小さなことも重なっていたのでしょう  

髪も切ったばかりだった。

髪という「余分なもの」を短くすれば、脳はやはりある種の電波を吸収しやすくなる。

食生活も、乳製品ばかり。
寝不足。

そしてベースは「武術家」

仕事を終えて
「さて、稽古に行かなくては」
と自宅てラッシュガードやファイトショーツの準備をしていた時に、急に寒気がしました。

直感で感じました。

「今、出歩いたら多分死ぬ」

虫の知らせ。
多分、良くない事が起きる。

疲れてたから倒れるとかそんな事ではなく。

「身体が疲れ敏感になった武術家」としての寒気。

本能が外出するなと言っています。

私は外出は控えた方がいいとは知りながらも、とりあえず近くの飲食店まで赴き、カロリーだけを大量に摂取して、すぐ帰宅し布団にくるまりました。

滋養と休息だけは摂り、「生命力」を保護しなければならないと感じたから。

今はっきりと言える事は、あの日にいつも通り電車に乗り街を歩き稽古場に行っていたら、多分今私はブログを書いていないだろう。

断言出来る。

死ぬか、四肢を欠損する怪我。



この話は極端な例ですが、ずっと鈍感な少年時代、青年時代を送ってきた私かこんな事を感じる事が出来るようになったのはやはり武術によるところが多いのではないかと思っている。



私は9月で二十六才になった。
二十六才と言えば、あの秋葉原無差別殺傷事件の加藤容疑者の犯行当時の年齢である。

二十六才になった私が言えばリアリティは増すと思うが、確かに「二十六才の男の身体」は動けるし多数の死者を出す犯罪も可能であろう。

その身体に「武術」という火力を搭載すれば、それだけで人間兵器になる。

加藤容疑者は武術家では無いが、彼が奮った、犯行に使ったナイフは、
「傷付けるため剣」である。


武術と言うものは、身体を動かし、他では得られない知識を得られ、最初は楽しく入りこめるものであるが、

「達人」「名人」「使い手」「実力者」と呼ばれるレベルに達する頃には、
一つのターニングポイントが訪れる。

・「殺人剣、傷付ける為の剣」(現在では「犯罪者」)

・「活人剣、護る為の剣」(現在では指導者、教育者)


ただ純粋に武術を「学問」として「まっつぐに」追及している方にはこの分岐点は見えないだろうし、その純粋さと探求心で更に上を目指していただきたい。

なんとなく若い頃に習った技術をなんとなくそのまま若い方や女性にビジネスで教えているいい加減な講師はまず分岐点の存在を知らない。このような講師は、小手先の生兵法しか教えられないので危険である。
何が危険かというと
「自制や思想を教わらず、中途半端に殺傷技術を学んだ生徒」を一般社会に送り込んでいるからである。

「殺す者」になるか「護る者」になるか。
決める要因は以下。

・生い立ち、子供の頃に受けた親からのしつけや教育。家族仲。

・その後の経歴

・武術を学んだ先生

・武術を学んだ時期、あるいは最近の「武術意外での」心境、身辺の変化。

・その人が抱えた「トラウマ」「PTSD」


簡単に洗い出したこの五つが結構重要な核だと思う。

私には「人を育てたい」
「強い人を作りたい」欲求がある。

「護る人」を作りたい。
いや、「一緒に目指したい」。

五つの項目のうち、
何個が私の力でどうにかなるかは解らないが、情熱はある。


最近ある出来事を良く思い出す。
「あれは一体何だだったのだろうか」
一瞬の出来事

冬のある日、地下鉄での出来事
私がメトロの車両に乗り込み、車両はゆっくり動きだした。
なんとなくホームを振り替えると、窓越しには私より少し年が上のような作業服の男と、その足元、周囲を走り回る小さな男の子

私がその二人を両目に認めた瞬間、なんと男は安全靴の爪先で男の子を蹴りあげたのである

私はそのガラス越しの光景に唖然としたが、あっという間に車両はスピードを上げトンネルに突入し見えなくなってしまった。

何だったのだろうか。
見間違いだろうか。

父親としては若い気がする
兄にしては離れすぎている。

あの男は、ただ単に自分の側を走り回る子供が煩わしくて蹴りあげたのだろうか。



こういう解釈がある。

作業服の男は誰からも愛されず相手にされない人生を送ってきたのかもしれない。
家族からも愛されず
毎日のように
「愛のこもらぬ温かい食事」を餌のように押し付けがましく与えられて大きくなったのかもしれない
とにかく人が大嫌いで
食事も一人でとるような大人になり
もちろん友人と呼べる関係はいない
いや、もしかしたら彼に親しみや好意を寄せた人間が、少なくとも二人くらいはいたかもしれない。
だが、作業服の男には自分以外の人間は妬みや嫉みの対象でしかなく、傷付け遠ざけ、世界を憎み世界と関わらず生きてきたのかもしれない。

駅のホームで、彼は少年に出会った。
無邪気に彼の回りを走り回り、彼の顔を覗き込む。

無邪気で、明るい少年の笑顔は男が今まで憎んで妬んで食い殺したかった「世界」
だったのかもしれない。

だが、男は触れてみたくなった。

人並みの「しあわせ」や「よろこび」に触れてみたくなった。
その象徴に。

だが、ずっと人を憎み続けた彼は「触れ方」を知らなかった。

蹴りあげた。




これは私なりの解釈の一つである。
だが、どんな生まれ育ちであれ、どんなものを背負っていたとしても

もし彼にも
「剣」があればと私は思ってしまった。


私はglasswolfを「技」と「体」だけの場所にはしたくない。
技と体は皆さんに指導出来るが、「こころ」は生徒さんと一緒に成長していきたい。

glasswolfにはもっといろんな人が来ればいい。

年齢も性別も違う人達が、
glasswolfの修行を通じて、
「兄弟」「姉妹」「親子」のような関係を作ってくれたりしたらと、僕はそんな夢を持っています。

glasswolf、硝子狼流合気道は「剣道」でも「剣術」でもありませんが

自分の、中の「剣」を磨きたい人の事を私は待っています。

アダルトチルドレン・ケイゴより。



この手で包みたい小さな手があり、
この手で燃やしたいトラウマがある。