小学校3年生ぐらいのとき何気なく
おかぁちゃんに

〝なんのために人は生きてるん?〟

と質問したことがあって


おかぁちゃんは洗濯物を干しながら

でも、すぐに

〝幸せに死ぬためやで〟

と答えた

😳

〝???〟

〝死ぬために生きる?〟

〝え?〟

マジかよ😱

3年生だか4年生ぐらいのわたしには到底理解不能な回答


というか死ぬためというネガティヴな答えに

なんとも言えないとても寂しい気持ちになった



〝幸せになるため〟

じゃなくて

〝幸せに死ぬため〟

やなんて...

死ぬためって、かぁちゃんマジかよって。

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漠然と宇宙とか死について考えることが

 

小さい頃からたまにあって

宇宙がはじまったときってどんなだったんだろう?とか

わたしは死んじゃうと今のこの想いや記憶って完全に

 

真っ暗になっちゃうんだろうか?とか

いつかみんないなくなっちゃうんだろうか?とか


死ぬのって想像もつかないけどなんだか恐い


小さい頃のわたしにとっては

死はとにかく漠然とこわいもの

(もちろん今もこわいし漠然としているけど)



なのに

死ぬために生きてる...って?

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そんなかぁちゃんとの会話から約20年

かぁちゃんのその答えのすごさって


20年経っても未だに理解しきれないってことと

言葉に対する解釈が成長と共に変化してきたってこと


自分が年齢と経験を重ねるごとに

 

言葉の意味が変化してパワーアップしてわたしに返ってくる


ジワジワ味の出てくるスルメタイプの回答だったわけです


9歳やったわたしもこの20年という長い時間の中で

たくさんの楽しいだけじゃない、人生の苦しみも、悲しみも、痛みも知って、まだまだ未熟なんだろうけど、曲がりなりにも29年分の出来事が積み重なっていて

一見マイナスに見えるような経験もたくさんして

だからこそ子供のときには知らなかったような飛び上がるような喜びや、感動も味わって

たくさんの人と出会い、その度に、目の前にいる人たちとの関係を全力で愉しんで

美しい景色をみさせてもらった

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あのときのかぁちゃんの

〝人は幸せに死ぬために生きるんやで〟

という言葉

29歳の今の私の暫定的な解釈では

〝自分の人生最高だった!と言って死ねるように、全力で今を愉しみなさい〟

と受け取れるようになった。


小さい頃は寂しい気持ちになった〝死ぬため〟という言葉


それを今では少しは肯定して受け止められる


なんなら優しく前向きな気持ちさえ感じられる



人は生まれたら必ず死に向かって進んでいく

どんな権力者も、地位や名誉やお金がどれだけたくさんあっても

 

それだけは避けられない
 

誰にもでも、必ずやってくるもの

 




だからこそ

人生という限られた時間の中で

自分をめいっぱい楽しみなさい

たくさんの喜びや愛を感じなさい

苦しみも悲しみも痛みも含めて、たくさんの感情を感じなさい

たくさんの人と出会い、愛し合いなさい


死ぬときに

〝マジで最高の人生だったぜ!〟

と言えるように

今を精一杯、楽しみなさい


という意味なんじゃなかろうか... 

と。

〝人は幸せに死ぬために生きている〟



10年後にはまたこの言葉がわたしに今とは違った新しいパワーをくれるのかもしれないな


と思うそんな29歳の六月のちょっと涼しいそんな夜。

 

自分にだけは嘘をつかずに生きていればどんな経験もきっと最高!って言える日がやってくる。

 

かもね♪

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最近ストーリーにオチをつけられないのが悩みです😂😂😂笑