お店に立つようになり早3週間!早いです本当にね。

とうちゃん、かあちゃんの仕事を横で見ながら

得意な野菜のパックやったりとかポップ書いたりとかを担当してます

とにかくできることをね、がんばってます。





その間もかあちゃんは
電話に出て
接客して接客して
発注して発注して発注して

かあちゃんの脳内スーパーコンピューターは動きっぱなし


とうちゃんはウェブの仕事と配達とか野菜の仕入れとか外の仕事も多いので


店のことはかあちゃんがメインでちゃきちゃきテキパキ

これをマネできるようになるかなぁ(笑)と思いながらも見て聞いて覚えてます


わたしは手が空きやすいのでその分
掃除、掃除、掃除

もともと場を整えたり家具の配置換えとか
好きだったところに

銀座の日水土の姉様兄様のキレイ好き
清潔感の大切さをしかとこの目で見てきたので


元はズボラなわたしではありますが
店は掃除をやればやるほど素晴らしい!
きれいが一番!

あとは整った空気ってとても大事


そう思ってやってました

今も半分はそう思っています。


ただ最近〝整っている〟ことの定義がなんとなく自分の中で変わってきたんです

とあることがきっかけで

待てよ
きれいとか掃除されてるとかそういうことじゃない

場が整ってるって

あるのかもと


先日、左京区の伝説の飲み屋まほろばさんであった

ごとうゆうぞうさんのライブにいった際

ふと



ここの場は

心地よいなあと


ライブの途中
ごとうゆうぞうさんのチャーミングな声とカリンバの音を聞いてるときに

薄明かりに反射した果実酒の瓶と
そこに適当に挟まれた今日のお品書きが
光に当たって

驚くほどきれいに輝いてました。

その風景は絶妙なセッティングでその角度でその照明具合でその人のつまり具合で

つまり、今その瞬間しか味わえない美しさでした。



前座のハッピーソーダもかわいかったぁ



あっ、整ってる

まほろばさんにいると適当にたくさん積まれているように見える荷物とか昔から貼られてるであろうチラシとかにも

歴史はもちろんですが
めちゃくちゃに飾られているようにみえて
秩序を感じるというか


そこにある全部がひとつの空間を作り上げているんだなぁと

この独特の味は、オシャレとか◯◯風とかでは出せないし

ほんもんの味わいで31年の歴史があってこそ

垢やチリさえも宝物なんじゃないかと思わざるをえない味わいで

あのでも、けっして汚れてるとかそういう意味じゃないんです

きれいなんですよ


でもただ清潔にしてればいいとか、掃除してれば場が整うわけではないんだなあと気づいた大きな出来事でした


そこにいるものが全部よろこんでるって感じで
菌たちもよろこんでそうだなあとか思うと

和歌山が生んだ天才、南方熊楠のことを思い出すんですよね。

粘菌学者の熊楠って大酒飲みで嫌なことあったらガーッて酒を飲んでその嫌な相手にリバースしたものをぶっかけたりしたらしいんですが(笑)

もっとひどいのがその後でその吐いた後のものを奥さんが片付けようとするのを止めて(笑)

菌の研究対象にしてたらしいのでビックリなんですが


いや、そりゃないわ(笑)とは思うんですが

彼は研究者だったのでその当時の一般の基準にはならいでしょうが

なんか除菌、殺菌が主流の今とはちがうもっと見えない命とも豊かに暮らしてきた世界観はそこにきっとあったんだろうなあと思うんです。

熊楠、大好きです。


まほろばさんという場も見えないものたちも喜んでる気がするんですよ。みんなが心地よさそうなんですよ。

あー

そうか

これもひとつの整っているか






まほろばさんにも熊楠の本がある


ここにあるみんな?いるみんな?が気持ちいいかなぁということを軸にわたしもこれから場づくりができればなあというのが今のスタンスです。


床のモップがけが大好きなのでその仕事は譲らずやっていきます(笑)