大飯原発の再稼働が決定してから、
毎週金曜日に行われている反原発デモに1万人以上が参加してるようだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120708/amr12070808570000-n1.htm
大惨事を引き起こした原発をたいした検証もなく、
また東電の責任を追求することもなく
再稼働させることには、もちろん反対だ。
しかし、原発を完全に止めた状態で、現在の生活を維持できるのか?という疑問は残る。
そもそも、原発を日本で稼働を開始させるときに議論はあったのだろうか?
日本は世界で唯一の原子爆弾による被爆国だ。
wikipediaによると、
「日本における原子力発電は、1954年3月、改進党の中曽根康弘・稲葉修・齋藤憲三・川崎秀二らにより原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB#.E6.97.A5.E6.9C.AC
という何ともふざけた予算の付け方で、終戦直後に原子力発電予算が国会に提出されている。
第二次大戦後、連合国から原子力に関する研究は禁止されていたが、1952年サンフランシスコ講和条約により、原子力研究が解禁になってからのことである。
核・原子力は英語でnuclearであり、原子力発電であろううが、核兵器であろうが、ともにnuclearで統一されている。
核と原子力を言葉でわけるのは、日本ぐらいであるようだ。
外務省ホームページでは、非核三原則について
「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。
(衆議員予算委員会における佐藤総理答弁(1967年(昭和42年)12月11日))」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/index.html
と明記されている。どこにも「兵器」とは付いていない。
「核」と「原子力」は言葉こそ違え、本質は同じものであるならば、非核三原則など全くの嘘である。
さかのぼれば、原子力=発展、核=悪と捉えてきた認識そのものが間違っているのであり、それが「核」を扱っているという重大さを甘く考えてきた東電、政治が原発事故を招いたとも考えられる。
日本は「核を持っている」と認めなければならない。
これからも核を手放すことは結局できないのだ。
その上で一刻も早く本当の意味での核放棄への道を模索しなければならない。