和癒師えんです。
来週、西日本に最強の寒気団がやってくるとのニュース。そのど真ん中に26日の滝入りでびびるなか、
今日は「皮膚感覚」の、
「温度感覚」についての備忘録。
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滝に入るようになって7年目。
7回目の冬を迎えています。
さぞかし冷たいのも平気になっただろうと、
七年前の自分はぼんやりと予想していました。。
一年目の冬は、
滝に行きながらも
「みんなはいるん?」
「ほんとにはいるん?」
と思いながら逃げる勇気もなく、
自分から飛び込む勇気もなく、
並んだ順番で、とか、
名前呼ばれて、とか、
ベルトコンベアーな感じで
「え」
「え」
とはいり、
なかでの記憶も飛んでた気がします。
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数年が経ち、
冬の滝に入ることに慣れ、
冬の滝に入っても心臓は止まらないし、
ただ冷たいだけということがわかり、
記憶が飛ぶこともなく雑念もばっちりウォッチング。
なのに、、
いちねんまたいちねん重ねるごとに、
冬が来ると
冷たさを怖れる気持ちが膨らみ、
次回の、
明朝の滝の冷たさを想像し続ける、
そんな日が続くようになりました、、、。
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そんなわけでついにこの冬は、
毎晩お風呂のなかで冷たい水シャワーを浴びることに。
「お風呂で水風呂とか絶対はいらん!」と叫んでた自分を覚えていますが、
怖さにおびえるのが嫌な気持ちが勝ったみたいです(笑)
その結果、
あれ?な発見。
足にかかって、
おなかにかかって、
胸や頭、首にかけても
「あぁ冷たい」で済むのに、
肩先にかかると、
「ひやっ」
「ひやっ」
と声が出る。
あまりにも肩にかかる冷水シャワーが冷たく感じるので、
「皮膚感覚」の
「冷」感受性は肩が勝っているのかと興味が湧きました。
で、Google先生に聞いてみた、
けど、
冷点そのものが肩に多いというわけでもないみたい。
おもしろい。
顔とか唇とかは冷感受性は強いみたいだけど、
自分では冷たさに耐えれない感じはあんまりない。
「顔の皮が厚い」とか、
それは置いときます(^^;
滝に入る時は足から。
ここらは頑丈。
滝から出る前に、
腕を前に差し出すのだけどこの時はもう冷たいのが痛い。
冷たくて痛くて耐え難いけど、
その耐え難さは良く知っていて、
「つめた―」
「いたー」
と毎回諦める。
ところが一方、
「肩」にフォーカスしてみると、
冷たさが新鮮で、
毎回驚いてる。
耐えがたいというほどの冷たさじゃないのに、
「ひゃー」
と言いたくなる。
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そこで、
滝に入ってるときを振り返ってみると、
案外肩先には水がかかってないよなぁ、とか、
普段から、
夏場でも肩を出すことないよなぁ、とか、
(着物生活に入る前も、ノースリーブ着ると途端に風邪を引くから、出してもフレンチスリーブだったような、、)
感受性そのものよりも、
冷たさに曝してきた経験値大きいかもなぁ、とか、
同じ「冷たい」でも、
感受性が高いエリアでも、
その感覚に慣れてれば閾値が高いんだなぁとか、
「つめたい」
ひとつとっても、
感じ方がいろいろで面白いなぁと、新鮮な発見。
でもこれって、
感情の喜怒哀楽とも通じるような。
身体の感受性を通じて、
心の感受性に想いが広がる新しい冬です(*^^*)
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広島の市内で、定期的に滝入りを行っています。
滝に入ってみたいなぁ。。
なんとなくの憧れから、とか、
動機は問いません。
ご興味がありましたら体験、見学、お気がねなくお越しくださいませ。
どなたでもご参加できます。
「献水」は原爆献水の「献水」。