生実は わずかな期間でしたが | 小さな宝物のブログ

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生実は わずかな期間でしたが
関東の政治的中心になった地であり
安房には北条氏を脅かした里見家が
未だ健在でしたから
上総には 大多喜に本多忠勝を入れて
抑えとしました
里見氏の改易によって
武力の抑止力が必要なくなると
生実には
徳川秀忠さんの寵臣 森川重俊さんが
1万石に加増され陣屋を構えました

森川氏は
近江の戦国大名
六角承禎の一族だそうです
早くから織田氏に仕え
徳川秀忠の寵臣
ぶっちゃけて言えば
おじさんずラブの
お相手だったみたいです~(・∀・)
ちゃんと武功も挙げて
大名に取り立てられたのです
江戸時代のはじめは
将軍が亡くなると
主だった家臣が切腹する殉死が
美談とされた時代
森川氏の初代 森川重俊さんは
徳川秀忠将軍に
老中に挙げて貰った恩に報いて
自ら腹を召したのだそうです・・・
(-人-)

北小弓城 森川陣屋は
入り組んだ台地の突端に位置し
小弓御所の時代には
台地の下は泥田が広がっていました
江戸時代に干拓されますが
森川陣屋の外堀も弁天沼として
開拓に要をなしました
弁天沼に臨んで
森川重俊の廟所が建てられ
廟所は重俊院として
森川家歴代を祀る菩提寺となりました

江戸時代を通じて転封がなかったのも
森川家の自慢です
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