こんばんは。
今日、2回目のブログ更新です。
主人に寝かしつけをお願いしたので、久しぶりに夜に自分の時間ができました。
よーし!YouTube見るぞぉ〜!
…と思ってたのに、特に見たい動画がなく暇で。
あ、ブログ書きたい。
と思ったので、今こうして書いています。
過去の私。
昔ね、中学生の頃。同じテニス部で親友だった子に言われた言葉を今でも思い出すことがあるんです。
「うなって本当に優しいよねって、○○ちゃんと話してたんだよ!」
昔の私は、今の私よりも自分のことを優先するタイプではなかったし、自分の意見を言わないタイプの人間でした。
たまに、その頃の自分に戻りたいな…と思うことがあります。
高校3年生くらいからかな、変わりだしたのは。
付き合っていた友達の影響もあり、気が大きくなっていったのかもしれません。
それから、怒りっぽくなり、敵を作り、自己嫌悪に陥り、死にたいと思う毎日でした。
本当に自分勝手に生きてきたと思います。
それも、つい最近まで。
いや、今もまだそうなのかもしれない。
けど、最近少しずつ分かってきた気がするんです。
いい意味での「どうでもいいや」
考えすぎてしまう私を知っている人は、「そんなに深く考えなくていいんだよ。どうでもいいって思えばいいんだよ。」と教えてくれるのですが、どうでもいいって思うのってなんか悲しくない?と言う思いがありました。
なんだか冷たいような気がして、、、うまく言えないのですが、どうでもいいって思えない自分がいるんです。
けど、最近少しずつ分かってきた気がしたんです。
「あ、なんかもうどうでもいいや。(いい意味で)」って。
人の悩みっていうのは、結局人との関わりが主なわけですが、私も人との関わりで悩んでしまい、終わったことでもグルグルグルグル頭の中で考えてしまうんです。
でも、最近なにかの糸がプツンと切れたかのように「なんか、もうどうでもいいや。」と嫌なことをポーーーンと何処かへ投げ捨ててしまうことができるようになりました。
「考えるだけ無駄」の意味がようやく理解できた瞬間でした。
それもこれも、恐らく子供が生まれたことが大きいと思います。
優先順位が子供→家族→自分→仕事になった。
今までは仕事が上手くいかないと人生が楽しくない。プライベートもうまくいかない。そう思って生きていました。
ですが、子供が生まれてからは第一に子供を優先するのが当たり前になり、職場が忙しくて大変なのはわかってるけど、ごめんなさい!お先に失礼します!ときっちり帰れるようになりました。
帰ったからといってきちんと定時まで働いているから申し訳なく思う必要はないし、私だって今までガムシャラに時間を削って働いてきた。
これからは自分の時間、家族を優先しても罰は当たらないと思えたんです。
言葉を飲み込む、ということ。
私は後さき考えずに、思ったことをパッと言葉に出してしまう癖がありました。
元々コミュニケーションをとるのが下手くそで苦手なのもあり、何かリアクションしなきゃ!と咄嗟に言葉にしてしまったことが結構酷かったり。
無理に会話に入ろうとして、訳のわからない発言をすることもあり、言った後に後悔することが毎日のようにありました。
というのも、感情表現が乏しいのか、自分では楽しんでいるつもりなのに「楽しくない?」と声をかけられるという経験が何度もあり…
そういう人は、無表情なのと、言葉に出さないのが原因だから、ニコニコして相槌を打つなど表現してみましょうと本に書いてあったのを見てそのようにしていきました。
でも、元々のコミュ力が乏しいので、空回りしちゃってたんですね。
それで、次に読んだ本では「無理して言葉を発する必要はない。ありのままの自分で大丈夫。」と書いてあるのを見ました。
それもそれで、結局同じことの繰り返しじゃん…と思っていたのですが…
少しずつ分かってきたんです。
「自分がそうしたいと思ったようにすればいい。」
「自分が納得すればいい。」
発言する自分も、発言しない自分も、自分がそうしたい!この自分がいい!こんな自分でもいい!と受け入れられるなら、どんな形でもいいんじゃないかと。
それで私が選んだのは「発言しない自分がいい。」でした。
発言するのにも勇気がいるし、発言して失敗するのも不安だし、失敗した後は後悔しちゃう。
それなら、発言しないで「楽しくない?」と思われても「楽しいよ。」と言える自分でいいじゃん!と。
それから、私は結構なんでも意見してしまうところがあるのですが、「言いたい!」「意見したい!」と思っても、ぐっと言葉を飲み込むことができるようになりました。
だって、言ったところでメリットがないってわかったんだもん。
それ間違ってる!
そんな言い方はないんじゃない?!
こうした方がいいと思う!
など、負の感情がメインの発言に関しては、言葉を飲み込むことにしました。
私には私の正義が。
相手には相手の正義があるわけで、意見したところでどちらかが嫌な思いをするだけだもの。
それなら、
「違うと思うけど、まぁいっか。」
「そんな言い方しなくても…私も気をつけよ。」
「こうした方がいいと思うけど…そういうならそうしとくか。」
と、自分の心の中で話を終わらせる方が楽だということに気が付きました。
口を開けば、ありがとう。
ずーっと飲み込んでいては苦しくなるので、吐き出すことも必要。
幸運なことに、うちの職場は「ありがとう」が口癖になるほど「ありがとう」が飛び交っている職場であります。
いや、そこでありがとうは違くない?!って時にも「ありがとうございます!」と無意識に言ってしまうくらい(笑)
お願いされてる側が「ありがとうございます!」なんて言っちゃうし、見方によってはありがとうの有り難みがなくない?!と思われてしまいそうですが、それくらいありがとうという素敵な言葉が使われています。
なので、言葉を飲み込むことも大切ですが、吐き出したい時には感謝の気持ちを。
それから、相手を褒める時に口を開くようにしています。
職場に1人、口を開けばお客様の悪口をマシンガントークしてくる男性がいるのですが、本人は面白いと思って言っているようですが、聞いている側はとっても不愉快で気分が悪くなります。
とりあえず、適当に相槌を打って反応していますが、正直それも疲れてきました。(他のスタッフもそう思っている様子)
それを見て、やっぱり言葉にするならポジティブな言葉がいいな…と改めて思いました。
子供のお陰で、成長できた。
昔の自分なら、怒り爆発して本人に直接注意したり、上司に相談したり、同僚に愚痴ったりしていたと思います。
ですが、今はグッと堪えることができていて、「この人はいい歳して子供だなあ…恥ずかしくないのかなぁ…」と10歩ほど下がって傍観することができるようになりました。
そこでヒートアップしてしまうことは、その人と同レベルということ。
そう思えるようになったんです。
子供がわがままを言っていて、それに対して怒鳴り散らすのは大人の対応ではないですよね。
きちんと子供の目線になり、歩み寄り、躾をする。
それができるのは、落ち着いて見ることができるから。
そうしているうちに、子供にだけでなく他人との距離もうまく掴めるようになってきたみたいです。
子供に感謝ですね。
そんなわけで、少しずつ変われている自分が嬉しい今日この頃でした。
それでは、また。