「無価値な自分が嫌い」が根っこにあった | 下山英子【人生を豊かに笑顔で流れるように】

下山英子【人生を豊かに笑顔で流れるように】

2拠点生活・オンラインノマドで成り立つ働き方10年の先駆者。お客様がリピートしたくなる関係づくりと商品づくりをする経営コンサル。エンパス力(超共感力)を高めて関係性ビジネスUP・人間関係・家族関係良好・思い通り以上の人生にできる「右脳系プログラム」主催。

 みなさんこんにちは。

前回のブログでアメブロで再開したはずが

しばらく更新が長引いてしまいました。

そして、この期間に激動があったことを書いていきます。

あまりにも変容の大きかった時期だったので

前回のブログの続きはまた後日に。

 

 10月は激動で悲しみの大きかった月でした。

同居していた義母が亡くなりました。

 

 

 

8月末に膝の手術で入院し始め、

3ヶ月はかかるということなので、

家のことと病院対応など忙しくなるなとは覚悟していました。

 

 ですが、途中から、肺炎になり、

その原因を調べていく過程で、

関節リウマチを発症していたことがわかり、

そのリウマチが肺を侵していると。

リウマチとまれに合併症で起こる間質性肺炎というものでした。

 

 その間質性肺炎にかかった人は

ほぼ致死してしまうとのことで、

かなり治るのは難しい肺炎だそうです。

 

 膝で入院していた病院から

集中治療室のある病院に移るときにも、

片足の膝にボルトを入れたあとで元気に歩いて、

元気な顔をして、自宅に30分くらい戻ってきました。

子供たちと私に、手術のあとを見せて、

ほら、ここにボルトを入れたんだよと

笑って言っていたし、

集中治療室に移っても、

また元気で戻ってこれるんだろうなとふつうに思っていたのです。

 

 なので、私も全く心配することなく、

決めていた出張日も変えず行ったのですが、

帰ってきたら状況は激変していました。

 

 呼吸がどんどん苦しくなったことで、

病院では口にパイプを入れて呼吸の道を作り、

それが余計に苦しいようでした。

帰宅後駆けつけた病院では、

もういい、延命処置もやらなくていい、家に帰りたいと、

苦しそうに言う義母がいました。

 

 

 

 

 毎日何度も、

子供夫婦4人、孫夫婦8人、ひ孫5人、

姉妹、親戚、友達、

入れ替わり面会に行きましたが、

家に帰りたい、もういい、と言う義母を見るたびに

誰もが、涙したり、何もできない、

してあげられない虚しさを抱えて

毎回帰宅しました。

 

 

 そして10月23日、80歳で義母は亡くなりました。

80歳って若くはない、けれど、今の平均寿命を考えると早い。

 

 

 もっと、肺炎になる前から、

風邪の症状が出ていたのではないのだろうか?

そのときに病院では気づけなかったのだろうか?

それもその難しい肺炎にかかったからどうしようもなかったのだろうか?

 

 

 などと、考えても考えても、

きっとこれも運命の1つとして、

人の生死の時を決められない、

起こるべくして起こったことだとも思う一方で、

自分のできなかったことや、

誰に何をぶつけていいのかわからないやるせなさも

同時に無性に感じました。

 

 

 そして、こういうことから、

私の中で、

自分自身に対する存在価値を疑う苦しみが始まりました。

私の古傷も痛み出したのです。

 

 

 私は考え方のクセとして、

よく自分をいじめるように責めていくところがありました。

 この一連のことからも、

私は何もしてあげられない、大切な人のことも助けられない、という私は無価値なだめ人間であるという自己認識をより強めていました。

 

 しかも私がその自己認識をぎゅーぎゅーに強めているので、目の前に起こることもそのようなことばかりです。

 

 葬儀のことで忙しくなる直前に、

夫が足首を痛めて急に歩けなくなる、

病院にも連れて行かないといけないし

私が手続き関係をまわらなければいけなくなる、

そんなときにすすんで助けてくれる人もいない、

親戚や訪問客対応もどんどん増えていく、

自分の悲しみの心なんかは置いてきぼりで、

とにかく動き回っていなければいけない。

そのうち、怒りがつのり、夫にも爆発、夫との関係も一時悪化。子供たちのケアもやっと。

 

 

 そして火葬場が混んでいたことで、火葬まで日にちがあき、できるだけ自宅から送り出したいとのことで

4日自宅に安置するため、部屋を大片付けして迎えられたものの、私自身には霊障まで起こっていました。

私がふだんから憑依体質で、

ふだんは結界を張ったり境界線を引いているのですが、

身内のことで心が弱っていてバリアが薄くなっていたのですね。

病院に面会に行っていた時から、

毎晩、うなされるようになって、まともに寝れていなかったのです。

 

 

 ほんとにこの期間は生きた心地がしなかったです。

 

 

 やっと浮上して今なのですが、

義母の死を通じて

ここまでの地獄のような経験をしてわかったのが、

私は、自分に自分で、

私は無価値なだめ人間であるという自己認識をしていたということです。

それを今まで特定できなかった。

だから、無意識に同じパターンをくり返していたのです。

 

 

 

 

 

 私のしていたのは、

いろんなことを献身的にしたとしても、

誰からも何も言ってもらえない、

やっぱり、自分のしたことなんて大したことないでしょう?

 

 私がいくら何かをしても、

それは大したことがないと思われている

だから、やっぱり私は無価値でしょう?

 

 ここでは、それは承認欲求じゃないかという話を

したいのではないので、それはおいておいて

 

 全部全部、やっぱり私は無価値でしょう?

だから私は自分が嫌いなんです、という

それを確かめるために、

家族にもそういう登場人物をしてもらい

私が自分劇場で起こしていたことだったのです。

 

 

 そして私は無価値なだめ人間で自分が嫌い

という自己認識をしていたと特定できたので

何が自分を苦しませていたのか

なんでこんなことばかりが起こるの?と

思ってきたのかを特定できたので、手放せます。

 

 これからも、また当分は、

似たような状況があるかもしれないけれど、

もう特定したので、ああ、また起こってるなあ、

もう私は手放したのだけれどね〜と

まるで他人事のように、

現象を見ることができていきます。

すると、そこにはエネルギーがもたらされないので、

だんだん終息していきます。

 

 

 今回のことからの大きな変容を

ギフトととして受け取りました。

ばっちゃんありがとう。ばっちゃんのおかげで

小さな子供たちを育てながら

この仕事を続けてこれました。

嫁姑だから、もちろんお互いに、

いろんな感情も生まれていたはずだけれど

私にとっては、生まれた家とは違う

家族の温かさと楽しさを

たくさん教えてもらえました。

見捨てない、深い愛情をありがとう。

 

 

 さて、

その自己認識によっていつも、嫌なのに、

くり返しているパターンがあって

苦しんでいることはありませんか?

 

 

 

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