エミシの森 -157ページ目

(1)..エミシのモリのオサ(長)

 かつてこの東北に在ったエミシの森。

 いや、かつて日本列島は、広大な森に庇われた緑の島であった。

 この島に先住していた人々に、土地を所有するという概念の無かった時代、生活の場としての単位を「モリ」と呼んだのだ。

  「土地の所有」という概念に、そこに生きる他の生命体と無生命体の存在を無視して良いなどという傲慢な許認を含んではいない。しかし現実はどうであろう。

 都市の街が緻密な計算と熟慮を重ね、自然との調和をテーマに掲げて構成し、人工物として多くの人々が共感と賛美を与える完成度の高いものとなったとしても、アスファルトとコンクリートに埋め尽くされたその覆いの下には、多くの生命体と無生命体が、かつては太陽の光を受け、その地に在ったことを想わずにはいられない。

 モリの生活は、オサ(長)を中心として、その集団は、モリのめぐみに見合うだけの人数で形成される。それは現代人の思う浅い知恵ではない、自然との長い付き合いによって培われてきた智慧として、その地に存在する全てのモノの循環の均衡を保ちうる数であった。

 彼らは、他の多くの先住民がそうであるように文字を持たなかった。

 文字は、税などを管理するための経済活動を目的とした、封建制度による人民統治が生んだ権力者側の発明である。オサのようにリーダーが存在しても、それが他のモノから利益を奪い集中させるような存在でなかった先住民の多くは、文字を必要としなかったのだ。


 しかし今となっては、彼らの存在への手懸りは、彼らが発していたのであろう音(おん)だけなのである。文字という道具を持った民族が、その音に漢字をあて紙に記録し、その音を現在に繋いでいただいたことに感謝したい。おかげさまで古代にエミシが息づいた生活空間を現代に於いてこうして推想できるのである。


 エミシのモリの地の推定を試みよう。