エミシの森 -158ページ目

鎮守の杜

森を切り拓き田や畑に変えても、里(郷)には、必ず「鎮守の杜」として森との繋がりを残して来た。


「鎮守の森」と、「鎮守の杜」は、音に於いては同じだが、「杜」と「森」では、その意味がかなり違う。


「鎮守の杜」の成り立ちは、エミシの人がモリとの接点としてきた場所の名残なのだ。


少なくとも東北地方の鎮守の杜の中心には、例えばイワ(岩)がある。


大岩である場合、現在も社の奥に御神躰として鎮座されている。



「鎮守の森」の場合、その中心にあるのは間違いなく神社である。

規模の大きな神社には、天照大御神のような明治以降の神道の神を中心に、脇に氏神、地主神が客神(まろうどがみ)として祀られている場合が多い。

小規模の場合、その中心にササやかな神社や祠があり、地主神が祀られている場合が多い。

(これらの「多い」は、あくまでも私の主観でしかなく、統計としての数字などを示すことは無いのはご勘弁願いたい。)。

この場合の「鎮守の森」は、地域を守護するように願い奉るための神社、神が居わす場所の意味として使われている。

そしてこの「森」は、鎮守というよりは、社の建て替えの智慧として「森林」つまり木材(檜や杉)の育成にある。


ここでお伝えしたいのは、「鎮守の杜」のことである。


「杜」は、木と土と書く。

「土」は、以前にも書かせていただいたが、先祖累々たる生命の「死」の積み重ねによる「黒い土」である。

火山灰の降り積もった「赤い土」でも、岩を雨や川が削り、あるいは砕き、運んできた「砂」でもない。

植物や木や動物などの生命が、「死」によってこの世に残してきた大いなる恵み、財産として「つ」ちかってきた「ち」である。

「モリ」全体が、その「ツチ」で庇われている。


その中で「鎮守の杜」が持つ意味が何かと言うと、その「死」への感謝と、そして最も重要な意味として願いの場であったのだ。

それはツチとなって現在の全ての生命を支え衣食住の全てを無償でお与えくださる事、見守ってくださる事への感謝の上にあって、未来へ恵が継続される事を願う「モリ」への通信の場であったのだ。


その場に何故「イワ」のある場所を選んだなのか、その理由は、時代とともに変わって来た。

「磐座(いわくら)」がその意味を端的に説明している。

が、根源として、より素朴に形式などを排除し、自然崇拝、自然に対する畏敬の念であることは、一本の筋道として数千、いや数万年の時を経て現在にもある(いや、あって欲しいと想う)。


漢(中国)の文字である「杜」、つまり中国での同様の思想に於いて、「イワ(岩)」の意味を持つものが「キ(木)」であったのだ。

少々乱暴だが、磐座を御神木に置き換えて理解していただければ、ここでは良しとさせていただきたい。


いずれエミシにとっての「イワ」とエミシにとっての「キ」の意味にも触れたいと想う。