私の中に、根深い、人を非難、批判する癖があることに気づいたのはだいぷ前。


それは、自分を守るためだったんだってことはわかってた。


今世生まれてからの一番古い記憶が、足踏みミシンの脚の部分に入って、ケンカしてる両親を見ていたって状況。


あの時、私は、無意識の奥の奥の方に、『世界は怖いところだから出て行ったら危ない』って決め込んだようで、

それ以来、内側ではあの足踏みミシンの中に入ったまま。


そこから世界を眺め、あの人が悪い、会社が悪い、世の中が悪い、ほらっ世界は危ないところでしょって確認しているような人生だった。


HTLに入って、意識の探究を深めていく中で、自分自身のその癖に気がついて、非難、批判が内側から出てきてもそこに強くフォーカスしないようにしていた。


人から身を守る鎧が、自分と世界を遮る壁になっていることに気づき、

そうやって自分を守らなくても大丈夫って安心させて、外の世界に少しずつ出てこれるようになっていた。

(あくまで内側の話。表面的には誰にも気づかれないで常識人で生きれてた)


昨年の2番目のでっかい気づきは、この批判、非難癖を人のことで使っていたということ。


正義感という名の下で。


人のため、会社がよくなるためというキレイゴトを盾にして、カッカッと燃えたぎる自分の中のエネルギーに気づいた時は驚いた。


人も、その集合体である会社も、それぞれの必然が重なってそこに居合わせているはず。


一見すると、不幸に見える出来事も、それぞれの内側では何が起きているのかなんて、本当のところはわかるはずがないのに、勝手に、「かわいそう」と決め込んで、私は腹を立てていたし、その怒りを抱えたまま行動していた。


が、意外と、かわいそうと思っていたその当事者はその状況を自分の力で飄々と抜け出れたりする。


そんな場面を何度か目撃して、あれっ?あの時の私の中の熱いエネルギーは何だったんだろう?って顧みた。


もしかしたら、あのエネルギー、別のことに使えたんじゃないか、もっと自分に向けてあげる事ができたんじゃないか。


こうしてまた、私はひとつ、頭と心の中がシンプルになりました。


外側の世界を非難、批判することをやめると、内側で、無意識に動き出していた『外からこう非難・批判されるだろう』という思考も止まるので、内側がとても平和。


外側に対してのチャレンジも軽い勇気でできるようになる。


長い間、いつか始めようと思っていたブログやInstagramを始められたのも、これのおかげ。



2021年3番目の気づきは、また今度。