特に陽射しの気持ちよさが目立つ最近!

最近の自分の楽しみは、身も心をゼロになる瞬間であります。

一枚の葉っぱに向かってずーっとパンチしてるとどんどん葉っぱが大きく見えてくる気がします。

木の上で枝の一本になってぼーっとする時どんどんその木の中で起こっていることがわかってくる気がします。

枯葉の上で座って自分が呼吸しているのを聴いていて、その呼吸にあわせて上の方で呼吸したり、下の方で呼吸したりと変化を加えたりして遊んでると
自分の体内の働きが見えてくるような気がします。

水面に鼻から上を出して、耳を澄ましていると、水の全てが自分の身体のような気がしてきて、そこに一個の心臓が脈打つのを聴き取っていると、水中に心臓が一つただ脈打っているというふうに不思議に感じます。

そんな風に時間を忘れて、何かになり切っている時、俺は楽しい。

仏教で言う慈しみの心は「その人の心になって感じる」という意味があるそうだけど。

無慈悲の塊で、無神経ロボットな俺もそういう風に、自分を空にして人の心の琴線に触れ、涙の一つでも流せるようになりたいと思う。

しかし不思議なものだ、、

ヨダレを垂らしてパンチしてる時。

ヨダレを垂らして木にぶら下がってる時。

ヨダレを垂らして座ってる時。

ヨダレを垂らして風呂につかっている時。


そんな自分に対して無責任な瞬間、俺はこの世界に生まれた瞬間みたいにキモチーすがすがしい気分になる。

人の心を動かすにはきっと
人の心になり切る必要がある
人の心になり切る訓練は
自分の心になり切る訓練でする
心は身体の中にある
身体に集中するのは心だ
自分の身体に集中する時
ヨダレが垂れる
ヨダレも止められないくらい
今やってることをやる
それの連続の中でこそ
他人の感情を理解できる
そんなことを信じてる


俺が最近ロボットなのは
感情を持つための練習なのだ。


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