二週間ほど、東北にボランティアに行ってた。
photo:01



大いに役立つことができたとおもう。
何より、2週間風呂にも入らずパンツも履き替えず、メシも腹が減っては適当に食うことを続けるほどに

明確な「人のためになること」が常にあるという環境は、恐ろしく幸せなことだったと思う。

photo:02



ボランティアで最初の段階で突っ込んで来た人たちの魅力は底しれず。

俺を何回も脱皮させてくれた。
photo:03



帰って気付く
俺は、誰かを呪って詩を書いてみたり
自分を呪って身体を痛めつけたりばかりしていたこと。

そして本当は俺は、「いい奴」なんだということ。
人のためになれる場面があれば、喜び勇んで走っていった

そのために方法を考え、皆で意見し合ってた。
photo:04



ボランティアが偽善だなんて、客観的すぎる、偽善者なら行ってお風呂が入りたくなった時にはもう帰ってる。そういう人も多少いた

でも大半の、特にたった独り個人でやって来た人は、ボランティアに没頭する。

俺は、なんの理由もなく行ってたけれど、そこに自分の「善意」のようなものがあるとは思いもよらなかった。

けれど、それは俺の心の中にあるらしい。

帰って俺は手を合わせた

その動作がなんとなく気に入ったからだ。

暇があれば手を合わせた

合わせた手の位置が気に入った

それは

自分ではなく、他者でもない
その両者の間に位置していた

ボランティアで学んだ瞬間
俺は自分を空っぽにしていたことに気付く

人を理解するために
集中するその目を通じて
相手の持つ学ぶべき大切なものが
自分を構成していくのを感じた

俺は変わりたいとばかり考えてた
だから
自己破壊的なことばかりしてきた
でも気付いた
変わりたいのなら

自分以外に関心を持つべきだ
暇な時間を使って
自己を構築する
構築してきた自己は
より偉大な人間に
一撃で吹っ飛ばされる

それならばいっそ
偉大な人間を尊重し
自分1人よりも多数いる人間から
世界の感想をたずねて
無差別に耳や目を開くべきだ

世界は広い
ここにおもしろい人間がいないからといって
ふてくされる暇があるならば
その暇を使っておもしろい人間を探すべきだ
それはいる
自分よりもおもしろい人間はたくさんいる

それに気付いたら
自分以外全部おもしろくなった


けど、俺にはたくさんの悪いクセがついてしまっていた
ワガママな態度に言動

敵は自分の中にいる
自分を愛するためにこそ
戦う戦いに意味がある
他者を愛するためにこそ
戦う戦いに意味がある
photo:05



そんな風に考え方が変わっていく
自分を感じて
正直
とまどっている

手を合わせる自分に
とまどっている

でも、そのおかげで
友達が増えていってる
そのおかげで
たくさんの道ができている
photo:06



これはきっと
いい方の悩みだ。

photo:07



iPhoneからの投稿