連日の雨、濡らされては乾かして
あったまるの繰り返し。

昨日の晩は泊まりでバイト、まだ研修中なので、一緒についてもらった人は元牧師さん。

ものすごく丁寧な人で人の良さがにじめでおります。
口にキウイ入ったまんまニンマァって笑って硬直したまんまの山本さん、三部屋ぐらい掃除して、もっかい見に行ってみたら、まったく同じ状態でびっくりした。

そんな山本さんに帰りますねぇって言って雨の中帰って来た。

帰ってから映画「ミスター・ロンリー」を見た、キリスト教の言う奇蹟、それが現代において、最大の芸術的な作品なのだとしたら、そんなの間違ってる。そんなことを言われた気がした。

日常の中に奇蹟は満ち溢れているのだから。飛行機の上からシスターがBMXにまたがって落下するシーンが印象的だ。

その後、炊き込みご飯に、野菜のピクルス漬け、味噌汁、それにレンコンゴボウ煮込みを食べた。うまし糧。

カフェベローチェに行って(50円引きチケットを道で拾ったので120円で飲めるのだ!)本を読んで絵を描く。

数年前から、少しずつ読んでいる、アランの「幸福論」これはちょっとかなりいい本だ。

また書くタイミングがあれば、いくつかの点を触れてみたいな。

それと関高健の「風に訊け」これもすっごくおもしろい、読者の質問に、旅に食に酒に人間の可能性をフルスイングしてきた男、関高健がバッサバッサ切りたおす。

そして、ソローの「森の生活」これは人生を通してお世話になるに違いない本、森で暮らす賢いオジサンが、その知恵と日常を語る。誰もが無視できない言葉がたくさん詰まってる。

煮詰めたカレーがかぴかぴになるのと同じで、これら名著と言われる本達を要約して語る口を僕は持たない、かぴかぴになるのが怖いからだ。
どうか、その本全体から学び取っていただきたい。絶妙なやわらかさで人生をスパイシーなものにしてくれるに違いない。

それに絵を描いていた、こないだ、隣に座ってた超絶美女二人に、この絵落ちてたら拾う?って聞いたら、かなり引きながらも拾うと答えてくれた。

僕の絵は、ショッキングらしいのは分かるけども、どうすれば、人を突き放すのではなく、惹きつけることができるのかたくさん考えて、絵を描くということについてたくさん文章を描いた。

そしてとりあえず、下絵を描く。
水性インクににじまないように、初めて黒の油性インクで描いてみると、紙ににじみやすくて少し苦労した。

photo:01



一応森の木をイメージしてる。

僕は、森や木は街の千倍混沌だと思ってる、木の葉の一枚をながめてほしい、そこには小さな宇宙がある。

まぁ漫然と続くアスファルトの一センチでさえも、そこには小さな宇宙があるけども、、

ただ、イメージを決着させまいと、逃げ回るショッキングな絵ではなく、ある程度のテーマの余白のようなものを置くことで、人の関心を得ることができるのではと考えたんだ。

ただ、僕は現実的な断片をイメージする能力が低いので、混沌とした線に逃げてしまいがちなのだ。
photo:02


これは歩き去っていく、店員さんの後ろ姿がすごくキレイだった一瞬。

そう、全然キレイさが目立っていない、心が折れそうになった。
けど折れるほどのプライドを持って絵を描いてるわけじゃないので、立ち直って新しく描く。

そうだ、できなくたって、やることでしか、解決できないもんな。
photo:03



どれも似てるだろうけど、僕の中では違う、三枚目はイメージへの定着と、同時に混沌化(僕はそれを逃亡線と呼ぶ)を両立させてるつもりだ。
色をぬれば、もう少しイメージが伝わると信じている。


フランシス・ベーコンの画集を前に起きながら、描いたけど、描き終わってもう一度見ると、ベーコンは本当にすごいなぁと思う。
photo:04


何がすごいのか、説明すれば、果てしなく続いてしまうけども、全部の線が想像力の可能性に満ち溢れてる、とても自由で両義的なものばかり、それいておもいっきり有機的なんだなぁ。

まぁ健常者の絵ではないけども。。

帰りしな、お気に入りの街の中にある忘れられているような小さな神社で通るたびの習慣になっているお参りをした。
作法どうりの参拝の15秒間ほどがたまらなく心地よい、一瞬の無に、全身がニュートラルになる(俺はこれをN化とよぶ!)


キーマカレーとピクルスを食べて、1時間程壁に向かって座禅。

実は三時間するつもりだったのに、今日は途中で負けた、ずっとうつらうつらしてしまう。

雨が身体の筋肉をきしませる、どうすればもっと雨と親しくなれるのか?
雨に濡れるたびに、風邪一歩手前な感じになってしまう。

はやく強くなりたいものだ。
さてさて、歯を磨いて寝よう。

おやすみなさい。



iPhoneからの投稿