イエーイ

宿直に、お料理にお散歩に読書
宿直に、木刀振りに、お掃除にお茶
宿直に、作文にお絵かきにボーッ
宿直に、おしゃべりに合掌にボーッ

何がしたいのか?
それを問う半歩手前で努力してる。

してるぜ!

してないぜ!

俺の家はキレイだ!
いつでも誰でももてなせるぜ!


頭は軽く重い!
人に対する怒りにはすぐ思考がエラーするようにちゃんと訓練してる!

怒りにはエラーだ
そしてその手前でエラーを起こさないよう考えるよう努める

最近よく考えることを公表する。

いかに精神を物質に近づけるか?
精神を物質化するという意味ではない

精神を 物質に 近づける

例えば、壁
それになる。

例えば、鳥
それになる。

少なくとも精神はなれるはず。

「物質に触れる精神」

それは必然的に、「物質化するための精神」を存在させる。

その時、精神は物質化するために、一度バラバラになる。

レンガの家を分解し
隣にレンガの家を建築するかのように

それを精神と呼んでしまったのは、間違いなのかもしれない、それは「全身」だ

物質化するために全身を一度バラバラにする必要がある

「全身の再構築」

全身の再構築のために、準備するもの

1、全身

2、反全身

ヒンドゥー的に例えるなら
1、はブラフマン(創造の神)であり
2、はシヴァ(破壊の神)である

ちなみにヒンドゥーの話では、ブラフマンも実はシヴァの化身である。
なんじゃそら。

違う角度から考える

「物質化するための全身」
というセリフは、つまり物質ではないものとしての全身を前提に成る

それを物質化する、要は変化させる
変化に必要な材料は何か?

無茶性だ
矛盾だ

そこでシヴァに登場してもらおう
いや、シヴァとブラフマンに喧嘩してもらおう、ヒンドゥーの話ではブラフマンもシヴァなので、必然的に一人喧嘩である。

なにこの矛盾?

これを多義性と呼ぼう

盾に矛が刺さった状況ととらえるのではなく、あらゆる方向に矛先が伸びている感じにとらえる。

精神が物質に触れようと努める過程は
僕にある疑問を教えてくれた。

昨日の自分が今日の自分になる過程で

いったい

何が爆発し

再び誕生したのか?


何故に間断なく川はせらせらと流れるのか?

ということ。

今日食ったものが

三日後の自分を構成する

その不思議に慣れた人間は、それを当たり前に登場する役者にかえて、人生という物語を急ぎ足で語り続ける

気はしっかりと狂っているか?

しっかりとバグっているか?

人を愛し

物質を愛せ

有機性は無機質からなる

木の生える大地は

化石と死体

昔生きていた生命で構成される

死の地面に根をはり

天空を目指すその枝の先に

なにが見える?

彼らが何を目指すのか、俺は知ってる気がしてる。

それは太陽ではない

むしろ、太陽に大袈裟に隠蔽された

宇宙空間の闇

その向こうにある宇宙の外側



時間の終わりが死なのなら
俺たちは時間の終わりからやってきて
時間の終わりに向かうのだろう

自由に聞こえるかい?

物質に触れる精神を持つのなら

それは一つのミュージカルに聞こえるはずだ。

変化の過程にシヴァが踊る

明日もし、明日がやってきたら

それは誰のおかげか?

考えてみよう

人は、明日に向かって眠り
明日によって明日を頂き

世界への信仰を確信に変えた。

次の瞬間には
次の瞬間がやってくる

あらゆる切断が連続性への祈りである

Connecticut!

Connect I cut

接続するぜ!私は!切断する!

月はスッポンをイメージしたか?
したさ!

俺は自分をバラバラにしながらも
バとラとバとラに集中する!

そして現実に向かって歩く!

現実は必然的に僕をバラバラにし、同時にバとラとバとラに集中させるからだ!


十津川の鹿は知らなかった

自分の頭に生える角が江崎の料理に添えられるとは!

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