晴れが続く

暑さに身体が喜んでる

朝のマクドで借りた本の星野道夫「旅をする木」を読んでる

世界は広い、人それぞれに。
僕は、この時期に旅に出ることが多かった、梅雨の間の晴れ間に打たれ、どこかでよく歩いてた。

四国を歩いたのもこの時期やし、石川に向かって歩いたのもこの時期だったと思う。

今はどこも歩いていないけども、身体は動くたびに悦ぶ

食を細めたりもしていたけど、食べるようにしていこう。

こないだ、ガンボ料理なるものを作った、ケイジャン地方で聖なる三位一体と呼ばれる「セロリ、たまねぎ、ピーマン」をスパイスとオクラでルウ状にしてご飯に食べる、、

とってもおいしいし、海外にいてる気分になる。

最近は僕の好奇心が部屋を出ることはあまりない、なぜだろう、元来自閉的な人間なんだ、その分、外に出ることへの憧れは強い。

暇があれば近所を散策するような人がすごいと思う、よく行動力あるなぁと言われるけども、自分では一回も思ったこたがない。

まぁこんな自分やけど、よろしくやっていきたいと思う。

最近よく身体を動かす、格闘技の動きをケモノになって宙を舞う。
木刀を振り回し、もっと木刀と仲良くなるようにつとめる。

すると不思議なもので、言葉はしっかりこの身体から発生するし、思考もしっかり現実的な「存在するもの」について考える。

僕にとって身体論というものは決して外せるものではない、それを外すと同時に夜空を舞う一冊の書物になって、夢を見たり語ったりするだけの人間になってしまうだろう。

料理が楽しい、掃除の後の部屋が好き
身体を動かして理にかなった動きを見つけていくのが楽しい。

楽しさは身体から始まる
頭で生まれた楽しさは、振り子のように移り気な気分がそちらに揺れただけだという気がする。
その反面で頭で生まれる苦悩が影をひそめているという感じだ。

身体の楽しさは、みかえりを求めないし振り子でもない、ここで生きてるという感覚が動きに付随して、満足でも不満足でもないゼロのポイントに自分をしっかり打ち立てる。

ゼロから自分がいつでも始まれるようになれば、環境や空気にとまどうことなく、いつでもどこでも、自分で始めれる気がする。

ふう

今日も今日をはじめるか!


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