今日は雨だ!
雨は内臓を冷やしてしまう、蒸れた皮膚は暑く汗はかくのに内側が冷える。
これを僕は「暑い寒い」と呼ぶ
暑い寒いはほっておくと風邪につながる、雨に濡れた皮膚が乾いたらもう大丈夫かというとそうではなくって、乾く時に内臓の熱を持ってってしまうんな。
かといって内臓の体温を上げるのは風呂とかが一番手っ取り早いかもしれんけど、俺はその内側をあっためる方法を京都に住みはじめて色々と学んだ。
ショウガ湯を飲む、呼吸に意識して内側を活発にする、長袖長ズボンをはいて少しだけ昼寝する、人参ゴボウの炊き込みご飯、メシをよくかんで食う、掃除や家事をゆっくりていねいにする。このどれかをすれば、まぁなんとかなる
ようするにカッと熱をあげるような運動や活動は、皮膚にカッと汗をかいてしまうだけで、結果的には逆に冷やしてもうたりする。
じっくりした、運動とも言えない家事レベルのことをすると内面からあったまってくる。
話が長くなったわい
まぁそんな感じで風邪をかわしていきたい。
先週、高知の知り合いのきこりさんの家に遊びに行った。
俺は、何が好きか、何をしたいのか
そんなことたちのヒントをたくさん持ち帰ってきた。
俺は自分が空っぽな時、俺が好きだ
誰でもなんでも俺に入ってこれるくらい空っぽな方がいい
それを一番教えてくれるのは、自然や
それもでかければでかいほどいい。
自然に人間ががっぽり飲み込まれてたら、人間は教え込まれた感覚の使い方じゃなくってその場で自分を組み替えてその時の自分のやり方で感覚を感知する。
岩を登ってみろ
指先に命がのっかれば、指先は伸びたり縮んだり、100分の一ミリまで意識できたりする、カラダを変身させながらやないと岩なんか登られへん。
そんな時は常識とか関節の可動域とか屁みたいや。
大自然に無力を感じろ
そっから足元からはじめるんや
ちっぽけな自由がわかるはずや
川についていけ
溶けて全ての橋になれ
きこりさんは、山を愛してた
きこりさんの友達も山を愛してた
山は動かん
やからこっちから愛しにいかなあかん
自分が自然の架け橋になって自分を未来に渡らせていくんや
つながりなんか発見するもんやない
つながりは紡いでいくしかないんや
料理を買って食うたらいっかいきりや
食材の架け橋になって料理作ったら
食材どうしのつながりは体に残るんや
だから、山に料理屋さんはないのに、山の人々の体に食材どうしのつながりを持ってるからあんなにも豊かなんや
生きていくことのプロセスのぜんぶを無視しやんと、100均で売ってるようなもんでも3時間かけて作ったりするんや
片栗粉もお茶もコンソメも手作りやぞ!
そっちの方がおもろいの知ってるねん
そうやってちょっとづつ料理とか山のこととか、人生のことを自分につなげていくんや
俺は悲しかったわ
帰るん
でも帰ったら
むっちゃ走ったわ
川で寝たり、山いきまくってるわ
花の名前も覚えるわ
ちょっとでもつながれるんやったら頑張るわ
琵琶湖も泳ぐし
イルカの真似して泳いでん
水中で上向いたりくるくる回ったり
ヨガしてるから、呼吸だけ確保して
鼻に水入って全然大丈夫になったわ
だから水中メガネ無しで目あけてうえむいたりクルクルスクリューみたいになって泳いだりできるようなったわ
三次元泳法やぞ
でっかい夢の後ろに
ちっこい自分隠れてたけどな
また正直に一からやりはじめるわ
俺、強なりたいねん
本気で愛してるって言えるもんを無限に増やしたいねん
そうせな、全部ウソやとか
所詮世の中ってのはとか
大人なんてとか
人間なんかとか
あいつはどうとか
こいつだけはとか
俺には関係ないとか
その点俺はとか言ってまいそうやもん
誰かが殺した肉笑いながら食うてそうやもん
最近なんとなく気付いてん
遅すぎるけど
案外人生って幻じゃない
頭空っぽな分だけ、色々入ってきてくれよる、
ありがたい。
おもろい。
iPhoneからの投稿
雨は内臓を冷やしてしまう、蒸れた皮膚は暑く汗はかくのに内側が冷える。
これを僕は「暑い寒い」と呼ぶ
暑い寒いはほっておくと風邪につながる、雨に濡れた皮膚が乾いたらもう大丈夫かというとそうではなくって、乾く時に内臓の熱を持ってってしまうんな。
かといって内臓の体温を上げるのは風呂とかが一番手っ取り早いかもしれんけど、俺はその内側をあっためる方法を京都に住みはじめて色々と学んだ。
ショウガ湯を飲む、呼吸に意識して内側を活発にする、長袖長ズボンをはいて少しだけ昼寝する、人参ゴボウの炊き込みご飯、メシをよくかんで食う、掃除や家事をゆっくりていねいにする。このどれかをすれば、まぁなんとかなる
ようするにカッと熱をあげるような運動や活動は、皮膚にカッと汗をかいてしまうだけで、結果的には逆に冷やしてもうたりする。
じっくりした、運動とも言えない家事レベルのことをすると内面からあったまってくる。
話が長くなったわい
まぁそんな感じで風邪をかわしていきたい。
先週、高知の知り合いのきこりさんの家に遊びに行った。
俺は、何が好きか、何をしたいのか
そんなことたちのヒントをたくさん持ち帰ってきた。
俺は自分が空っぽな時、俺が好きだ
誰でもなんでも俺に入ってこれるくらい空っぽな方がいい
それを一番教えてくれるのは、自然や
それもでかければでかいほどいい。
自然に人間ががっぽり飲み込まれてたら、人間は教え込まれた感覚の使い方じゃなくってその場で自分を組み替えてその時の自分のやり方で感覚を感知する。
岩を登ってみろ
指先に命がのっかれば、指先は伸びたり縮んだり、100分の一ミリまで意識できたりする、カラダを変身させながらやないと岩なんか登られへん。
そんな時は常識とか関節の可動域とか屁みたいや。
大自然に無力を感じろ
そっから足元からはじめるんや
ちっぽけな自由がわかるはずや
川についていけ
溶けて全ての橋になれ
きこりさんは、山を愛してた
きこりさんの友達も山を愛してた
山は動かん
やからこっちから愛しにいかなあかん
自分が自然の架け橋になって自分を未来に渡らせていくんや
つながりなんか発見するもんやない
つながりは紡いでいくしかないんや
料理を買って食うたらいっかいきりや
食材の架け橋になって料理作ったら
食材どうしのつながりは体に残るんや
だから、山に料理屋さんはないのに、山の人々の体に食材どうしのつながりを持ってるからあんなにも豊かなんや
生きていくことのプロセスのぜんぶを無視しやんと、100均で売ってるようなもんでも3時間かけて作ったりするんや
片栗粉もお茶もコンソメも手作りやぞ!
そっちの方がおもろいの知ってるねん
そうやってちょっとづつ料理とか山のこととか、人生のことを自分につなげていくんや
俺は悲しかったわ
帰るん
でも帰ったら
むっちゃ走ったわ
川で寝たり、山いきまくってるわ
花の名前も覚えるわ
ちょっとでもつながれるんやったら頑張るわ
琵琶湖も泳ぐし
イルカの真似して泳いでん
水中で上向いたりくるくる回ったり
ヨガしてるから、呼吸だけ確保して
鼻に水入って全然大丈夫になったわ
だから水中メガネ無しで目あけてうえむいたりクルクルスクリューみたいになって泳いだりできるようなったわ
三次元泳法やぞ
でっかい夢の後ろに
ちっこい自分隠れてたけどな
また正直に一からやりはじめるわ
俺、強なりたいねん
本気で愛してるって言えるもんを無限に増やしたいねん
そうせな、全部ウソやとか
所詮世の中ってのはとか
大人なんてとか
人間なんかとか
あいつはどうとか
こいつだけはとか
俺には関係ないとか
その点俺はとか言ってまいそうやもん
誰かが殺した肉笑いながら食うてそうやもん
最近なんとなく気付いてん
遅すぎるけど
案外人生って幻じゃない
頭空っぽな分だけ、色々入ってきてくれよる、
ありがたい。
おもろい。
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