田んぼでは稲の穂がこうべをたれて

バッタがピョンピョン

街の道ではサルスベリがおとなしくなってきて

とって代わってちゃう花が咲く

だいたいの森の色彩もうっすらと変化してきたようで

あわーい紫だとか青だとかオレンジだとかの花をよく目にするようになったなぁ

クモは家をしっかりつくるようになったのかしら?

ごつい巣に顔面からつっこんで、他所様の家をぶっ壊してしまうことも多々あるので、片手をかざしてセンサーに木と木の間を歩かなくてはいけません

雲の模様は、ちょっと前まで、くっきりの雲ではなくなってきていたけれど、今日はまたくっきりと、雲は夏でした。

けども、なんというか雲と雲の間の空の青色の奥行きが、ほんとうの夏のそれではなくなってきております

田んぼのあたりや、森の入り口にさしかかるとたくさんの命が渋滞している匂いがむんっと立ちこめます

街の匂いの単色とどぎつい直線の原色に比べ、森の包み込むような渾然とした匂いの彩りは、全身の皮膚で匂えるような優しさがありまっしね。

我が家の水道をひねれば、最初の3秒オレンジ色の水が流れ、やっと、なんとなくな透明になります

その水がしたたる、洗い場のタイルは錆びてとれないオレンジ色の焦げ跡を残しています

だもんで、その水を飲んでみれば
あわしゃあっと淡い淡いかおりが口内にひろがって、すっと食堂を通っていくと、口の中には「んっ?」というような後味が残ります(きっと口の中がサビる味なんだな)

その水でもって、僕の体内の70パーセントは構成されていくわけでありんす

おいしいジャングルコーヒーも
お手製のコンソメで作ったスープも
お山のおいしいお茶も
香り豊かなハーブティーも

その水を資本に展開していくわけでありやす

仕事場の利用者曰く
「ええ水があります」
それは、北大路通から千本通を上がって行った京見峠を入って行ったところに流れる水で、人がよう汲んでるとのこと。

その話を聞いた翌朝の宿直上がりの今日、僕はその山に向かってみました。

山への細い道は、命の匂いが満々で
とても心地よいおもいでした

ところどころで鉄のネットや、赤いコーンなどで、人間に無理やり組み伏せられた山の斜面や岩肌もあったけれど、それはそれで道をゆく人のことを考えた上でのことなんでしょう

岩肌にイワタバコやウワバミソウを探しながらも、目的の京見峠のあたりについたので、そこにおった畑やってるおじいさんに聴くと

「すぐそこにありますわぁ」

その足で、その場所にたどりつきました。
photo:01



何も書いてないので、ほんとうに人気のところなのかなぁと思いながらも。

原付をとめて、おっきいクモの巣を避けて近づいてかがんで、ぐっと飲みました。

なんだか、生駒のじいちゃんの家の水に近いようで、やわらかくて、すっと入っていって、うるさくなくて、それでいてたくさんの味がふくまれているような気がして、歴史を経たお山が液体化したものが体に入ってくるような、全身が軽くなるような、不思議な味がしました。

ふうって一息ついて、また飲みました
ふむふむってまた飲みました
うんうんってまた飲みました

うまい!っと存外叫びはせなかったけど、一口が一口の呼び水になり、また一口を呼び寄せる、山の魔力を感じました。

気がつけばお腹に清らかなお水が満たされていて、とっても幸せな気分になりました

これが僕の体の70パーセントになってくれれば、僕はもっと深くこのお山と心通じあわせることができるのに、そう思いました。

そのあたりの看板を見ると「氷室」という地名だったようです、そのへんの集落を下ると神社がありました
photo:02



「氷室神社」
書きつけを読むと、どうやらそこは昔、冬にとれた氷を夏まで保存して、それを天皇に献上していたのだそうな

だから「氷室」って名前なんだそうな

しかし、そんな昔に、冬の氷を夏までどうやって保存したんだろう?そんな疑問に頭をもたげました。

道端にブロンズの虫がおった
photo:05


つまんでもって見ると、足をわちわち動かしながら「ちぎちぎ、、ちぎちぎ」ってむっちゃかわええ声だしてる
録音メモに、そいつのボイスを録音、神社を出た

そして近くの田んぼを通ると、そこにこんな石柱がありました
photo:03



おっ!これをたどれば、保存の方法うがわかるかもしれないぞ、と思って、明らかに人んちの畑をズンズン進んでいきました、電流柵もジャンプで乗り越えなくてはいけませんでした

それでも、いくらか立てられている小さな立て看板の「氷室跡」をたどって奥に行くと、藪の中に行き当たり、それ以上道はありませんでした

ふとその藪の手前に看板が、、
photo:04



その足元やまわりをみたけれど、何もないところよりも何もないところでした。

意味不明な記号について、またそれに符合するような土地的な特徴を探したけれど何もみつからず、ほくそ笑みながら道中を帰りました。

帰りに、さきほどの畑をやっていたおじいさんがいたので話しかけて水のことを色々ききました

なんでも、ここの水は、知る人ぞ知るもので、遠くは高槻市からまでやってきては、どでかいタンクに半日からかけて入れて帰る人もおるそうな。

山の上からの水かと思って、雨のあとでは味が変わるのかとか聞いたけど、なんでも地下60メートルからの地下水らしく、味は常に変わらないとのこと。

それに、1ヶ月ぐらいじゃあ全然くさらないという

そういえば、こないだ登った木曽の御嶽山のどこかにも、「地獄水」だとかいうマグマなんかを経て出てくる地下水があってそれは1年以上くさらんらしい。

山の水、深し。。

この氷室の水はテレビにも一回出たことがあるらしく、それ以降めっぽう人の数も増えたらしい

そんなところで、畑をするおじいさんの農作物はうまいんだろうねぇなんて言いながら街に戻っていった。

あぁそうか、昔天皇に献上するぐらいおいしい氷が出来るのは、やっぱりそれだけおいしい水が出るからなんだなぁなんて、当たり前のようなことを頭の中で発見しながら帰路についた

次は、おっきなタンクもっていかなきゃなぁ

その水で飲むジャングルコーヒーはどんなかなぁー
その水で飲むお茶はどんなかなぁー

楽しみだ、お山に耳をすませれば
むかしむかしの物語が、しどとに流れ出してくる。

森でかぐ香りには、全部の歴史の匂いがある、土の香りには今まで死んでいったすべての生きていたものたちの名残りがある

土そのものが、ほんとうは生き物みたいなもので、あらゆる生命を食べてでっかい規模で生きている、その上を僕の腕に生える腕毛のような感じで、木々がおいしげる。

そこから染み出す水には、僕の血管を流れる血液のような、大切なものがすべてつまっているような気がする

森のDNAがそこには含まれていて、それは味はあっさりとした口当たりを残してすぎさっていくものだけれど、食道を下っていったお腹のあたりでは、ものすごいパワーを感じれるものなんだ。

おかしいけど、僕はよう手を合わせる
森の水にご馳走様をして、立派な岩にのっかったお地蔵さんにも手を合わせる

よそ者なんだから、それでいて血を分けてもらうんだから、礼儀だと思うな

家に帰る途中、肩口にちっこい尺取虫がくっついてることに気付く。
ありゃあ、お山の中からこんなところまで連れてこられてかわいそうに、、

道路にはたき落としそうになったけど、あわてて自分を止めた

家の近所の山に離してやろうと思って帰ったけど、そんなことは忘れてしまっていて、尺取虫はもちろんどっかいってしまってた。

その尺取虫にとって僕は、何ものなんだろう、宇宙のわけわからんところを地球という石ころにのっかって旅する僕たちに似ているところがあるのかもしれない

僕たちも、いずれこの地球に見放されて、どっかに放り出されるかもしれない。

そんな時のために、どこにたどりつこうとも、その土地でしっかり幸せに生きていくことができる強さを鍛えておかなくてはいけない

どんな土でも、水でも理解できる心の広さがなくてはだめだ。

どこにいっても他人の生き血をおいしくすすりながら生きていくより他ない

相変わらず、まとまりがない文章だけれど、まぁこんなもんか。

諦めて終わることにする。
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