9月13日。
台風12号が奈良和歌山を強烈にひっかいてから10日が過ぎた。

僕は5日の日に十津川の知り合いに電話も通じず、ニュースで不安になる報道を見ているよりはと思って、原チャリの「ゲンちゃん」にまたがって十津川に向かうも、どの道も完全に土砂にうもれていて一度諦めた。

一週間連続の宿直で、疲れもたまったので、漫画喫茶で3時間パックを楽しんで笠置の川岸で星空の下で野宿しようと、野宿道具一式をもって笠置手前の漫画喫茶に入っていた時。

一通のメールが、東北で協力して活動してた和歌山出身の人から来る。
内容は、和歌山のほうもやはり被害が大きく、まさか東北で見た景色にこんなにも近くで出会うことになるとは思わなかったということと、他の東北に入っていた人たちも、僕の知っているだけでも3人もさっそく和歌山で活動しはじめているという。

僕は、目の前のマンガに集中できなくなってしまって、決めることにした、決めるしかないじゃないか、だってなんと言おうがあさってまで僕には時間がある。それを無視できない。

決めたら後は楽だ、やるべきことなんてほとんどない。僕は先払いの3時間パックを2時間20分も残して、店を出て、ゲンちゃんに新しいエンジンオイルを買って入れてあげ、家に帰ってメシを食って一生懸命に昼寝することにした。


0時、最近お気に入りの足袋を履いて(山歩きに足袋は最高のアイテムだ!)軍手ワンセットだけリュックにつっこむ、ショベルはでかくて入らないので諦める。
タイヤがツルツルなってしまってて、バッテリーも死んでる、ゲンちゃんに頼むでぇ!ってキスしてから、またがってGO。

目指すのは和歌山県那智勝浦260キロ。
けども、目指すのはあくまでも災害地だ、つまりその手前で手伝えることがあれば手伝うつもりで出発。

相変わらず通行止めが各地で続いているらしく、調べるのがどうもめんどくさい。168号線は前回の突入で心折られた、本線は土砂でアウト、できたての迂回路も後日アウトになったらしい。

そこで169号線に向かう、無理なら違うところから攻めればいいや。

桜井から169号線へ出て後は真っ直ぐに進む、川上村の方に入ると、驚かされる、報道では十津川の方がクローズアップされているけれど、やっぱり川上村の方でも被害は大きい。

道から見える山のほとんどがどこかに土砂崩れが起こっていて川は全てミルクティー色だ。
169でも途中大規模な土砂崩れで迂回を余儀なくされる、夜分に工事用のスポットライトを当てて照らされる土砂が満月の下にあって、なんとも妖艶な雰囲気をただよわせていた。
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道への祈りが通じたのか、169号で満足なところまで入り込むことができて、途中309号へと乗り換えて海側の尾鷲方面を目指す。

昨日までの宿直での寝不足がたまったのか、途中で居眠り運転をしてしまうほど眠くなったので、途中のバス停小屋でうずくまって30分寝る

スッキリ目覚めて、ようやくテレビでもよく報道されている熊野市に出るともう朝、時間があっという間に流れていく。

熊野市に入るなり、山の奥の方に民家が見える、なにか異様な雰囲気を嗅ぎ取って、国道から外れてそちらへ向かう。五郷というところ。
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林に隠れているその集落の真ん中を大又川という川が流れていて、そこを中心に瓦礫が山のように民家や畑道路に橋に散乱していた。
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これだ、僕が一番ショックを受ける光景は、山奥の人目のつかないところでつつましく生きる人々の生活が無造作に残酷に破壊されつくしている。大切に使われていたであろう耕運機がひっくり返り、大切に育てられていたであろう畑が枯れ果て。
石垣が破壊され、代々引き継がれてきたはずの墓地がグシャグシャになって、墓石があたりに散らばっている。
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もうすぐ収穫であったはずの、重い穂を実らせた稲は全て倒れ伏していて、田のど真ん中に、コンクリートの塊が突き刺さっている
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早朝6時なのに、村の人たちはもう外に出て一生懸命に片付けている、ほとんどが高齢者だ。
一番奥の方へゲンちゃんを走らせて、一番奥の家で作業しているおじいちゃんに「おじいちゃん、俺もなんか手伝わしてっ」て言うてすんなり入り込んで土砂すくいを手伝う。
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一緒になって汗だくで頑張れば、少なくとも、野次馬ではなくなる気がして、どこか安心できる部分がある。

僕はどこの所属でなんちゃら、と説明するよりはひたむきな労働が一番信頼を得ることができると思って一生懸命になってする。

数時間もすれば、もうどこか気の知れた仲になれる。
じーちゃんは、昔、膝の靭帯を切ったまんま1年野良仕事に林業をして、医者に行くと半月板が無くなってもうてたというくらい、強い人だ。
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五郷の集落には、自衛隊や行政の重機はまるで入っていないのに関わらず。
土建屋が多いのもあってか、自前の重機で道路を開けたりと、台風翌日からもうとりかかっているらしい。

彼らには行政を待つということがない、自分でやるしかないってことを、もう今までの歴史の中で嫌っちゅうぐらい学んでいるんだと思った。

これが村の人たちの強さだ。
東北での活動ではその点がすごく解った、本当の意味での街の不合理がこういう時に明るみに出るんだと思う。
隣近所とのコミュニケーション、結束力、依存しない自立心、だから村の人たちは物質的にも精神的にもほんとうに豊かなんだと思う。

いくら「おじいちゃん足悪いねんし休んどき」って言っても絶対に止まらないそれが心から嬉しくてもう止めずに一緒に汗をかいた。

最後には逆に、パンとお茶を振舞ってもらい、おじいちゃんと休んだ。
そんで再び出発することにする、連絡先もしっかり聞いて、絶対また来ると心に刻みこんで。

熊野の市街地もやはりひどかった、東北の大街道の通りを思い出す、土ほこりにまみれた街に泥だらけの家々、家の外にずらっと並ぶガレキ。。
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けれど、全ての家で作業が着実に進んでいるのがわかる。
ガレキの集積場に仮に指定された公園や空き地にガレキが山になっていることからも災害の後の住民による作業と自衛隊行政の対応がいち早く行われていたんだと思った。

きっと、東北と比べると、死傷者があまりいなかったことや放射能やその他の多すぎる不安が、それほどない分。
住民たちには、さっそく「復興」の意識が湧いてきたんだと思う。

ボランティアセンターも各地に用意され、張り紙なども街に貼られているので、いきなり来た志願者もすんなり受け入れてもらえるようになってる。

そのまま様子を見ながら、新宮を超えて那智勝浦へ
新宮の熊野川周辺は一番被害が多かったんじゃあないかな、けれどその分自衛隊やボランティアの車でその周辺が渋滞していた、それほど、重点的にみなが対応してるってことだと思う

那智勝浦の方も人は多く、目につく作業している人などを手伝ったりしながら、福祉センターをボランティア受け入れ口にしているところに顔を出す

みな出払っていたので勝手に入って様子をうかがう、地図上に記された被災した家などを確認する。地図を見て思ったのは、津波被害の横一列の被災に比べて、川や支流付近の氾濫による被害と土砂崩れによる被害それに降雨による被害がであったりと、被災宅は一箇所に集まっていないのでとても把握しずらいようだ。

ある程度様々な物資も集まってきて、ボランティアの方からも配布しているようだった。(それとも炊き出しにするのかな?)

ひどく被災した街を色々と見て、正直思ったのは、僕が今本当に手伝いたいのは、山間部の集落の人たちだということ。

ニュースに名前が出ている街のところは、行政もボランティアも真っ先に集まって来る、個人で動く場合は、小回りの効くゲンちゃんを使って普通行きにくいところへ行った方がいいなぁ

昼過ぎ、僕は、以前失敗した十津川村のことを思い出し、まだ唯一試していない和歌山県側からの突入を試みようか考えた

といっても、翌日は仕事なので今晩中には帰らないといけないので、迷う、けど行くことにした。

168号線を通って向かう、けれどまたもや大規模な土砂崩れに出会う、あぁ、、と思ったらその横に、旧道のトンネルがあったのでそっちから通る、真っ暗なトンネルが1キロほど続いて、果てしなく続く山路をゆく。途中細かい陥没や土砂があるけれども、かわして行ける。
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168で行けば、10分そこらの道を、迂回ルートで1時間半ほどかけて巨大な玉置山をてっぺんまで登って下る。
そしてようやく十津川村の役場につくことができた。

想像してたよりも、大丈夫そうだ、行くまでの道がやられているだけで、村の集落自体にぱっと見てわかるほどの被害は見当たらない、(もちろん場所によるけれど)ガソリンスタンドもオープンしていて、食品などを売ってる店もやっていた。

けど問題はその役場を中心に小枝のように別れた小道やその先の集落がどうなっているかということだ、なんといっても十津川村は日本で5番目に広い村なんだ。

僕が目指す知り合いの家族は、杉清(すぎせ)というとこに住んでいて、行ける道は一本しかない、会う人会う人に「あそこはまだあかんやろ」と言われる、けど、行ってみて土砂に本当に足を止められない限りは諦められない。

行ってみることにする。
道に入ってさっそく土砂に出会う、けども道が通っている、次に橋が落ちているけども迂回ルートが生きてる!
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また土砂また土砂と続くけれど、さっきできたかのように生々しく道ができている、期待がつのる、まさか、まさか。
走りながら祈りまくる!
お願いします!お願いします!
「みちまど」さん
「みちまど」さん
中をとおらせてください!
(「みちまど」は最近僕がいると思っている妖怪の名前で困難な道のりも気分で開けてくれたりする奴だ)

カーブ、土砂、道が連続する、15分ぐらいその連続が続く、カーブの終わりごとに斜面にあの家がないか見る。
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崩れてしまってるところが続き、今通り過ぎたところが家だったんじゃないかと不安になって振り返ってみたりもする。

そして、知っているところに出る、最後の橋が現れる、下には3倍にもなった濁流の川が流れている、、けれど、通れる!
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最後のカーブを曲がったところに、ポツンとあの家の屋根が見える!!窓は暗い、けど、外の小屋の屋根の上に飼っている「鹿殺し」のケンチャンがこっちに吠えてる!!

(彼は鎖を解けば山に走っていって鹿を食い殺して帰ってくる)

オー!胸が熱くなってケンチャンに近づく、けど吠えてるからちょっとビビる、でもよれば両足で胸を押さえつけられ激しく顔面をなめられる。
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よかった!あーよしよしってやってると、

暗い家からおっちゃんが!
3秒停止して、、

「あーーー!
けんちゃんどぉないしたのぉぉお!?」


感動の再会!家族全員無事だと解る!

下の畑に走っていく!
無事だ!絶壁の斜面に乗っかる家も!畑も!下のいもうとさんの家も、家の下の川はそこまで飲み込まなかった!

田んぼでおばあちゃんと、おばちゃん姉妹ともう一人のおじちゃんが作業してる。
走ってって驚かせる!みんな驚く!

あれぇ!!この子はこわいよぉ!
どぉないしてきたのぉ?

無口なおっちゃんもへっへっへって嬉しそう。

あぁよかったなぁ、本当によかった。
電気もなんもない中を10日近くも過ごしていたらしい。
冷蔵庫がダメになったので、魚や野菜は料理して全て乾燥させて食べていたらしい。

僕は疲れを隠しきれず、逆に心配ばかりかけてしまう、、
お茶やら、配給のアンパンで作ったおぜんざいなんかを食べさせてもらう。

いつものあったかい空気が流れてる、それに気づくたんびに。はーーよかったぁああって胸にせまる。時間がなくて手伝えないから、一生懸命聴いて、一生懸命元気にしゃべる!

おっちゃんもおばちゃんも、ほんとうに嬉しそうによくしゃべる。

最初の配給は、カレーパンが一人7個で消費期限が翌日で、隣のじいいちゃんの配給のパンと交換してもらおうとしたら、隣のおじーちゃんもカレーパン7個やって、二世帯で合わせてカレーパンが35個で食べるのが大変やったってことや。

救護ヘリが飛んでくるという噂を聞いて、はじめてのヘリを人目みようと集落のみんなが見に集まったことや。

雨がひどくなった時に山を登って避難しようと言うてるのに、めんどくさがりのおっちゃんは、「あんなところ二度と登りたくない」ってだだこねたことや

暗いロウソクの中暮らしていたので、暗い中、おっちゃんはおかあさんに隠れてお酒ばっかり飲んでたことなどを、満面の笑みでワクワクしながらしゃべってくれる。

みんなほんまに子供のように、危険な状況を楽しんでいて、もしもの時はしかたがないっていう空気だったらしい。

なによりも、落ち込ませてしまったのは、明日仕事やから今すぐにでも帰らないと行けないってこと。

何度も何度も、無理しぃなや、今晩はカギ開けとくから何時なっても気兼ねせんと戻ってきたらええんやで。と優しい言葉をかけてくれる。
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電話がつながらないので、帰った時の報告ができない、絶対大丈夫といっても不安を与えてしまってほんとうに申し訳ない。

さて!帰路につく!問題は168の奈良方面だ!みんな無理って言ってる。
けれど、和歌山方面でまた玉置山を超えて帰るのはとうてい不可能だ。

再び「みちまど」さんに祈りながら、168の奈良方面に帰ることにする。

はぁ!やっぱし大塔村、坂本(前回、奈良方面から来た時に止められたとこ)で通行止めに出会う!
しかも、5時半までは、迂回路でなんとか通れたらしい!

五條建設などに問い合わせてもらって上の人としゃべる、どう訴えてもダメだ、ガードマンにも訴える、時間制限の意味がわからない、いや、全ての言葉が意味わからない。

この人たちは論理で動いていない、Bボタンを押せばジャンプするマリオと同じ構造をしてるんだ。
だから向こうの言い分がまるで頭に入ってこない。どうせダメなんでしょう。

左にゲンちゃんを向ける、ガードマンが前に回って止めてくる、諦めて後ろを向く。。

からのUターンで!
二人のガードマンの間を通り超える!

いい人らやったから、一回止まって振り返って「上の人らに勝手に行ったっていうといて下さい」と言い残して去る。

よかったー

って思ったのもつかの間。
次は鉄のフェンス付きの通行止め!

同じ構造をしたガードマンロボが二人僕を止める。
なんかしゃべっとるけど聞こえない。

ゲンちゃんにうなだれる俺。
向こうから緊急車両が来る、「なんで緊急車両はええねん、、」うなだれて道を開ける、ゲートが開く。

ここでフルスロットル!

緊急車両とフェンスとガードマンロボの間にゲンちゃんをつっこませる。
「あかん!あかんてぇ!」
と怒鳴り声。
緊急車両も車をこっちによせてハサミ込もうとしてくる。ギリギリかわす!

はぁーー!!!やったったぁーー!

ぐしゃぐしゃの土砂の上を緊張感ゼロで走り渡っていく

あ、、、

再びフェンス付き、今度はガードマンロボ5人。

無線から「原付き一台行った!止めて!」と声があふれてる。
歯の抜けたおっちゃんが、切れてる。完全に切れてる。

でーっかいため息をついて、僕は歯向かう「危ないから通行止めやのに危ない道に戻れってどーゆーことやねん!」

ロボに論理。無理だ。
いよいよ諦めムード。がっちりガードマンロボは原付きにしがみついてる。

うなだれる、本当にうなだれる、疲れがドカンと肩にのしかかる。

後ろから救急車が来る、端っこによる。

フェンスが開く瞬間、そこに「みちまど」が見えた!
端っこから鋭角に切り込む。ガードマンの手が当たる、なんか色々当たる。頭をかがめて突っ切る。

「なにしとんじゃぁわれぇー!」

っと聞こえた声は、はるか後ろ。ふぅーーーー
両方のミラーがあさっての方向にひん曲がったのを、戻しながらゲンちゃんに謝る。「ごめんやでぇ」よしよし。

悪気はなかったんだ。
濁った胸の内をなでながら帰路につく。

今回のことで、本当にたくさんを学べた。

山に生きる人間の強さを。

人と人との間にある見えない糸のことを。

仕事という名前の化け物を。

0時に出て1時に家に着く。
18時間ぐらいゲンちゃんにまたがってたことになる、タイヤはまったくのツルツルになってた。ゲンちゃん本当にありがとう

あぁ報告のつもりが、物語りみたいになってしまって本当に申し訳ない

ここまで読んでくれた人にはほんま感謝。

えー要約すると。
被災地では、着々と片付けが進んでおります、山間部では行政の手はないものの自分たちでどんどん進んでいます。なので救援できることはほとんどないかもしれないけれど、手伝うことはいっくらでもあります。

ボランティアの受け入れも、現地で可能です、それに個人で動ける人なら、今なら好きに手伝えると思います。

けれど、なによりも心配なのは、山自身へのダメージです。
自然には本当に恐ろしい変化がおこっているのを感じました。

あれらは、きっともう僕らの世代の間に回復することはないと思う。

ダムが」嫌いな僕の目でみれば、土砂の多くはダムとその支流へと流れ、ダムに併設されてできた道をふさいでいます。

95件の家を沈めてできた猿谷ダムなぞは(十津川で95件というのはいかに広大な範囲を水没させたか!)。
ほとんど発電用のもので、治水用ではありません、水害の際には水を放流し、それ以外の時は水をほとんど発電に使ってしまうシロモノだそうで。地元の人にはダム自身からの見返りはほとんどない。お金はばらまかれたようだけど。

昔に十津川周辺は、街に電気を送られるための電源開発地帯に指定されて以来、発電用のダムが村を沈めて広がっていったのを想像するだけで、あぁ。と思う。

その辺の災害に比べて、不思議と大丈夫だったのが、山奥の孤立した集落。
道も最低限のものしかない、山の斜面に生える木々がしっかりと地面を掴んでいるせいか、集落への土砂はほとんど見かけなかった。
僕にはそれがなんか誇らしかった。

僕は一人よく走り回った、、
山の人たちに、山を諦めて欲しくないという想いが強かった。いい加減街の人間が目覚めて、協力していかなくてはダメだと思った。けど。

あの人たちは、まったく変わらずに、山から与えられたこの宿題を翌日からせっせとこなす、街の援助なんて夢にも思っていない。

なんて強い人たち

そんな強い人たちのお尻にくっついて、その一端を伝えながらも、その強さを自分のものにしていくことが、今の自分には大切だと考える。

道中美しい風景にもたくさん出会った、これらが守らること以上に大切なことなんて、ねえ
千枚田
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いかずちの滝
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おしまい

いや

つづく。

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