どいつもこいつも気ぃきけへんでどないなっとんねん | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

以前はタイトルのような悪態をよく心の中でついていました。

目配り気配り心配り、みたいなことが人よりできる自分は損だ、なーんてよく思ってました。

なんか私ばっかりいっつも人一倍気ぃ使ってるわ。

自分が勝手に先読みして動いてるだけなのにそんなこと思ったりしてました。

ヒステリックな母親のもとで育った私。
それに反抗はしつつもやはりいつもその顔色をうかがいながら生きていました。
「あんたは自分のことしか考えてない!」ってやたら言われて育てられました。
だから私は私は自分勝手な人間で、それはダメなことなんだってすごく刷り込まれたんだと思う。
だから結果的にものすごく人に気を遣うようになったのではないかと思う。

私は周りを見て人がどう思ってるかとかこうして欲しいんじゃないかとかいうことを本人が気が付くよりも先に見つけることができるタイプで。
育った環境もあったろうし、もともと持ってたものもあるかもしれません。

高校生くらいまでは非常にもどかしく感じました。
いつだってみんながすごく鈍感に見えたし、頭の回転が遅いやつばっかだ、とか思ってましたし。
お前はどんだけ偉いねんと言う感じですが、私も子供でしたから自分だけいろんなことが見えてよくわかってるつもりになってたんだと思う。
事実はそうでなかったと思うけど。

その後は大人になればなるほど「気が利くかどうか」は私の中で重要になっていきました。
それができた方が人として優れてると思ってたし。

「けいちんは本当によく気が付くね」

今まで生きてきた中で何百回言われてきたことかわかりませんが、ほんとにしたくてしてたというよりも、つっぱっていながらも人のことばっか見て生きてきてたんです。
本当はそうしたくない時でも人を見て人のために動いていました。

そのくせ感謝されないと腹が立つから始末が悪い。
私はこれだけしてあげてるのに、損してる!って思ってた。
いつもいつも私ばっかり人に何かしてあげて・・・・。

だったらやめろよと言う話なんですよね。
頼まれてもいないのに自分が思うことをして恩着せがましいことを思うくらいなら最初から何もしなければいいんです。
勝手に動いて勝手に期待して勝手に絶望して勝手に怒る。

無駄な動きとしか言いようがなく、そんなことに使うエネルギーがあるなら大切な自分のためにそれを使えばよかったの。

今は本当にそうしたいときだけ自分以外の人のために動きます。
そうしたくなるときって無条件だしね。
今は嫌だったら頼まれても動かないようにしています。

それって勇気がいるんですよ。
だってずっと「怖そうだけど実はいい人」みたいな生き方してきたんだもん。

でももう嫌なんですよ、疲れたし。
気を使ってばっかりで生きていくのは。
だからほんっとやめました。

人に気を使うのは生きていく中で必要なことです。
本能むき出しで傍若無人に生きてる人には誰も近づきたくないしね。

でも、それも自然体でできる範囲でいいのだと思うようになりました。
自分の身を削ってまでやることはないし、自らやりたくてそうするときは身が削れることも見返りを求めることもなくなる。

そしてそれを育った環境のせいだけにするのをいつやめられるか。
しんどっ!!と思ったときに「オカンのせいや!!!」って怒る気持ちはあってもいいけど、どんな環境でもそうならない人もいるわけだし。

環境は大きいけど、でもやっぱりどんな気分で何をするかを選んで生きてるのはいつも自分だということを観念して認めると楽になっていくよね。

私たちはいつも何に関しても往生際が悪いものだからなかなか一筋縄ではいかないことも多いけど。

でも少なくとも今は、人が気が利くかどうかなんて考えることさえなくなりました。
気が利かない人に遭遇すると「めっちゃおもろいやつおった(笑)!!」とか思うようになりました。

いつでもいい意味での自分本位でいたいと思う今日この頃です。


【告知記事まだですが募集始まりました!!】
林紘子さん主催で3月21日名古屋へ寄せていただきます!

3/21(月) ~愛も美もお金もほしいまま♡~
いちいけいこの人生オーダーメイド計画

お申込みはこちらから