【上げられるものは下がるもの】自己肯定感アップブームの中で誰もやろうとしないこと | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

こんつあ!
雨大好き景呼です。

今日はしとしとと降ったりやんだりしてます。

雨音が大好きで、寝がけや起き抜けに雨音が聞こえるとそれだけで癒されます。
葉っぱや花が雨露に濡れてる感じとかもうっとりする~。

 

情緒的ですねんっ♡
そーゆーとこも持ってますねん(笑)!

 

 



さて、空前絶後の自己肯定感UPブームですかね?
時代に逆らってというか笑、私のお伝えしていることはそれとは別のものです。

 

自己肯定感というものは、なんらかのメソッドによって上げることが可能なものです。

ツールはいろいろあるので自分にマッチしたものでいいと思います。

 

ただ、これは一時的な効果をもたらすものであることは言えます。

とても辛口な言い方をしてしまうと、逃げでもあります。

 

自己肯定感を上げたら、今よりいい自分になって幸せになれる。

と思っているのなら、という感じです。

それが悪いと言っているのではなく、本質的とは言えないというだけで。

 

つまり何かをしないといけない。

と思っている状態で、これは自己否定なんですね。

 

自己否定からの行動は馬力が出る。

だから欲しい状態が手に入ったときには達成感を得られるけど、それは本質的な幸せとは別の者です。

 

そのままでいいんだよ~と言ってるのでもありません。

なにかにつけ苦しみが伴っている人にその部分だけ言うのは私は暴力やと思てるぐらいです。

自己を肯定「感」というのはあくまで「感じ」です。

条件や環境によって左右されうるものです。

「感じ」という実体のないものですから。

 

どんな人でも自分を肯定できる場面や環境ではいい感じでいられます。

でも、上げられるものは必ず下がるものでもあります。

 

そういう「感じ」というのは上がったり下がったりするのが普通です。

どんなに凄そうに見える人でも、さらなる挑戦をするときには不安も湧くでしょうし、上がったり下がったりしながら生きている。

 

なので、上がっているときでも下がっているときでも、淡々としていられるかどうかがキモで。

 

波乱万丈型でドラマティックに生きている人にとっては淡々と生きるってことが刺激のないつまらないようなことに聞こえると思います。私がそうでした。

 

でも幸せを追い求めながらその実やっていることは、自己肯定感の下がってる状態とは反対の、アゲアゲの刺激を求めているだけ。

 

幸せではなくて刺激を求めてる。

てか、渇望してる。渇いてるんですよね、飢えた感じがするの。

心底落ち着く平穏で持続するものとは別のものを追い求めている。

 

それを追っているうちは、波の高低差がとても大きい上げ下げの中を行ったり来たりすることになります。

これはとても燃費が悪く視野の狭い世界観となります。

 

本当にそんなことを望んでいるのだろうか?ということを自問してみるのがいいと私は思います。

本当にありたい姿というのは、そういったジェットコースターのような上げ下げの激しいものなのかどうか、ってことですよね。

本当に幸せを感じて生きていけるようになると、自分の自己肯定感が高いか低いかということをそもそも考えることもなくなります。

 

健やかなるときも病めるときもあるんです、生きていたら。

めちゃくちゃ普通のことです。

 

どちらの自分のときもいつも通りの自分でいられるかどうかは自分の足でしっかり立っているかどうかの大きなバロメーターになります。

 

これだけ自己肯定感UPブームになるってことは、それだけしんどい人が多いということやと思います。

 

ほなしんどい時どうしたらええかというと、逃げないことです。

そのまま、その苦しみや悲しみ、しんどさや寂しさ、そういったものがあるってことをまずは認めてそこから逃げ出さないこと。

 

自分を客観的に見て、逃げずにそれとともに在る。ということです。

しんどいのを我慢しろというのでは全くありません。

 

我慢するのとは違うんです。

その苦しみの「感じ」と同化することをやめていくということです。

客観的にそれをみるってことで、正気にもどることなんです。

 

そうではなくて散らさず誤魔化さず、その等身大の自分のまま在るのです。

苦しさやしんどさは亡き者にしようとすると増大します。

 

不快さとともに在る。
ほとんどの人がやろうとしないことです。

 

それは、足掻かない、ということなんです。

何もしない、というのはだらけて寝て居ろって意味ではない。

やる必要のあることは普通にやるだけです。

 

何もしないというのは、余計なことをしないという意味です。

とにかくとにかく、いらんことせんことなんです。

 

根癒(こんゆ)の道は、余計なことをしないことです。

 

まずは自分を客観的に見て自己肯定感を含むいろいろな感情、つまり「感じ」を見ていくことからがはじめの一歩です。

 

それらはどれもあくまで「感じ」でしかないことを見破っていったとき、全く違う景色が見えてきます。

人がいかに概念の中だけで生きているかを知ることとなります。

 

こんな記事も書いてたので載せておきます↓

 

どなたか必要な人に届きますように。
 

 

 

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