誰かの言葉に悲しくなったり
誰かの行動に傷つき寂しくなることは
あなただけじゃなく、
誰にでもある
私ももちろんある
「そんな思いをしてどうして普通にしていられるの?」
例えば、陰口を言われていたり
批判されていたり
そういう好ましくない状況に置かれてるとき、
その状況を知っている人から言われることもある言葉
「そんな思いをしてどうして普通にしていられるの?」
「あんなことをされているのにどうしてそこまでできるの?」
「陰でこんなことを言われているのに、どうしていつも通りにふるまえるの?」
私がいつもの私でいることができたり、
落ち込んだりした後でも、
ちゃんと元の私に戻れるのは
コソコソしたくないから
私にとっては
それだけなのかも(笑)
「こんなことがあった」
「こんなことをされた」
「こんな風に言われた」
だから
悲しかった
寂しかった
傷ついた・・・
それを誰かに知ってほしくて
打ち明けたところで
何も変わらないことが多いのも知っているし
そうすることで
どうしても誰かを“悪者”にしがちなことも事実
かなしさや寂しさ
ないがしろににされたことや
わかってもらえないことを
誰かに知ってもらうことよりも
誰かを“悪者”にしてしまった罪悪感を抱えて
コソコソと生きることの方が私にとってはもっと悲しい
きっとそれは
コソコソとした思いを抱えたままの
誰かを見て
その人が発する
素敵なことばも
優しい想いも
美しい志も
違和感を覚えてしまうから
だから自分はしたくないと思うのだと思う
何が違和感かというと
こそこそしている自分を見ないようにしていること
こそこそしちゃっている自分を
置いてきぼりにしていること
きっと私もそうなる
だけどそれは私自身がかわいそうだから
こそこそしないために
自分ができることを選択していたいだけなのです
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