おうちで勉強して受験!子どもが勉強を好きになる方法 -3ページ目

ボロボロだった主人

病状説明の後、家族で話す時間をもらえた。
主人は目が真っ赤で、かなり泣いていたのがわかった。
娘によると、私が入院した日、

家に帰ってきてからず~っと泣いていたらしい。

翌日も面会できるものと病院に来て、

コロナで面会できないと知ってショックで、

また泣いていたらしい。
 

この日も私が来る前に看護師長さんと先生から話を聞き、

みんな泣いていたらしい。

 

私は自分が不思議なくらい落ち着いていたので、

冷静でいられたけど、主人の受けたショックのほうが、

かなり大きかっただろうなと、主人を見ながら感じていた。

 

もっと何かできたんじゃないか。

今からでもできること何かあるんじゃないか。

痛々しいほど必死に、

私のことを心配している姿がかわいそうだった。

 

「まだまだこれから二人でしたいことたくさんあるのに...」

と泣く主人を見ながら、
「ああ、こんなに必要としてくれてるんだから、

あきらめないでちょっとでも長く主人のそばにいられるよう

頑張らなきゃ」と思っていた。

すい臓がんのステージⅣ

しばらくすると、消化器内科へ移動することが告げられ、黄疸を改善するために胃カメラで詰まっているところに管を入れる処置をすると説明があった。同意書にサインし、措置をしてもらう。

麻酔のおかげでその後はぐっすり眠った。

 

翌日ネットですい臓がんについて調べてみた。

やっぱり厳しい書き込みが多い。
見つけにくく、治療も難しいがんらしい。

1年後の生存率がほかの癌に比べてかなり低い。

 

これは、本気で、かなり厳しいなぁ。

でも、自分でも不思議なほど心は落ち着いていた。

 

胃がんで父が亡くなった時のことが思い出された。

苦しんで、痛がって、最後は痛み止めをしたらもう血圧は戻らないと言われて、それでも痛み止めを使って、その後天へ召されていった。

 

痛いのや、苦しいのは嫌だなぁ~
無理しないで痛み止め使ってほしいなぁ~

 

まだ、はっきりと病状を告げられる前から、そんなことを考えていた。

 

数日後、家族も呼ばれて病状説明があった。

私が入っていくと、看護師さんや先生が涙ぐんでいた。

主人は目を真っ赤にしていて、娘が主人をフォローしている感じだった。

 

CTの画像や胃カメラの画像を見せられた。

そして、告げられた。
「すい臓がんのステージⅣです」

 

あ~ステージⅣかぁ。

ということは、転移もあるので、手術は適用外。

治る見込みはほとんどないなぁ~

頭の中でネットで調べた情報が流れてくる。

 

「あとどのくらい生きられますか?」

「はっきりとは言えませんが、6~9か月というところだと思います」

「父が胃がんで亡くなって、最後とても苦しんでいたんですけど、私痛いのとっても苦手で...

痛みって抑えられますか?」

「今は緩和ケアの研究が進んでいて、いろんな痛み止めが開発されているので、大丈夫ですよ。

痛みは我慢しないで、すぐ言ってください」

看護師さんがやさしく教えてくれた。

「残り時間が決まっているなら、少しでも長く、元気に私らしく家族と一緒に過ごしたいです」

「抗がん剤を使うと、元気がなくなるとよく聞くので...そこは家族と相談して考えたいです」

「何でもご相談に乗りますし、できる限りのフォローをいたします」と看護師さんから心強い言葉をいただいた。

 

 

癌になってしまった!?

10月に入ってから、なんか体の調子が悪かった。
いつもなら休日しっかり寝れば回復するのに、疲れが全然取れない感じ。通院するも、検査は一か月先まで予約でいっぱい。一応予約した。
そのうちに尿が茶色くなってきた。そしてとうとう白い便が出た。もう一度通院するが、検査はしてもらえず、胃薬が変わっただけだった。

10月20日が職場の検診だったので、そこで相談すればいいかと思っていたのだけれど、10月17日の日曜日にふと気が付くと黄疸が出て、白目が黄色くなり、手が黄色くなってきた。
鍼の先生に救急車を呼ぶか自分で救急診療に行くか選べと言われて、主人と救急診療所へ。

症状の聞き取りが終わるとすぐ中でベッドに寝かされた。
そして、すぐ造影CTを取ってくれた。
しばらくすると、今までとは違う先生がやってきて、説明してくれた。

「今撮った画像です。ここに白く見えるのが膵臓なのですが、腫瘍と思われます。多分癌でしょう。手前の胆管にも転移していて黄疸を起こしていると考えられます。ということで今日はもう帰れませんよ入院になります。いいですか?」

「はい」と私はうなづいていた。

「ご家族の方にもおはなししていいですか?」
という質問にも何も考えることなく「はい」と答えていた。