小学校の頃、福岡県築上町築城の山奥にキャンプに行った
昔のことなんで、うる覚えですがキャンプ場の近くに、人の背丈くらいの城の模型があって…
ネットで調べたら画像がありましたので拝借
そうそう!こんなやった
その先の山を登ると、やっと人が通れるくらいの山道に巨大な岩が拝みあっていて、これがこの城の城門と聞かされた記憶があります
これもネットでありました(パクりました)多分この岩かな?
もっと、大っきく感じたけど…
本丸まで険しい道で、着いたらなんもなかったような…
子供心なりに、この城落とすのは容易ではないと感じた…と思います
それから月日がたち、戦国期に豊臣秀吉の命で中津に入った黒田と地元国人の城井の争いがあったと知ったとき…
あ~
あの時のキャンプで見た城跡周辺で戦があったんやな~と繋がりました
この城は、城井ノ上城?と思います
周辺にも多くの城があって、攻めてくる黒田軍を何度も撃退したそうです
業を煮やした黒田官兵衛、長政親子は謀略を使い城井鎮房、朝房親子を抹殺
その辺は因果関係があり、赤かべ寺(合元寺)とか有名な話です。
色々と書きたいですが、長文苦手なんでネットや本などに詳しく載ってますんで興味のある方は見てみて下さい
づづく…
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