福岡県京都郡苅田町にある「松山城」は、豊臣秀吉の九州平定戦で黒田官兵衛が陣を敷いた城ですね…
現在は、埋め立てられていますが、当時は海に突き出た半島状の城だったそうです…
本丸のあった山頂からは、瀬戸内海が見渡せ、湾曲になった豊前海の陸地を見渡し「さて、どこから攻めるかの~思案のしどころじゃの~」と、官兵衛は決して言わなかったやろ…
交通の要所だったらしく、海から陸から大軍が集結し、一大橋頭堡を築いてたみたいですね…
ここに集まった大軍団をみて、地元の土豪たちは挙って官兵衛に挨拶に来たようです…
後に宿敵となる宇都宮鎮房も、嫡子の朝房を挨拶に行かせたようです…
現在は、北九州空港につながる工場地帯の一角にある為、山の大部分は削られているようですが遺構は残ってるようです…
いわゆる…仕事で通る道沿いにあるのですが、毎回その異様な山姿に見入ってしまうんですよ
松山城
さすがに登城する気はせんけど…
ん~?あの山に似てるな…
いつも思うんやけどね~似てる…
この山の形、剥き出しの岩肌を見て、あの想像を絶する戦いを想像するんですよ
もちろん写真でしか見たことない…
小笠原諸島の硫黄島にある摺鉢山…
言わずと知れた日米大激戦の島
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
以後、なにもせずとも100年間は、日本の平和を勝ち取った戦いだと思います…
島の戦略上の重要拠点です…
標高は、松山城128m、摺鉢山169mとそんなに変わらない…
なんかスゲーやろ?
…とか、助手席に乗っとる奴に熱く語るんやけど「はぁ???」「なにが???」と…
ま~
たぶん、そんなん思うんは俺だけやろ…
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