釣りも好きやけど歴史も好きなんで、ブログタイトルに「歴史探訪」を追加して満足です…
黒田官兵衛…今でこそ大河ドラマでメジャーになった武将ですが…
身近な地元の領主というよりも、竹中半兵衛と共に豊臣秀吉の軍師だったということで…
私が幼き頃より、気になっていた武将でありますが…
知名度がいまいちということもあって、なかなかテレビなどには取り上げられなかったように思います…
以前、松本人志に語ってもらったのがよかったですね~
http://s.ameblo.jp/galileo5884/entry-11562423755.html
前回、官兵衛が陣を敷いた「松山城」つながりで…
九州平定にあたり、官兵衛が真っ先に目をつけたのが「宇留津城」
一応、自分の生活圏なんですが、この辺りは来たことがなかったんで、Googleアースで探しましたよ
今では、当時からあったのか廃城後にできたのか分かりませんが、スサノオノミコト?を祀った須佐神社になってる…
福岡県築上町椎田にあるんですが、椎田は豊前国の中間にあたり、当時は交通の要衝で人が行き交う宿場町で栄えたようです…
官兵衛としては、この城を虐殺というインパクトあるやり方で真っ先に落とし、見聞を広げることで、周辺の土豪を従わせようとしたのか…
神社の前に、宇留津城の石碑がありました…
戦いの様子は、説明板に書いてるとおりですね(((^^;)
城もそんなに大きくないと思うけど、こんな大軍で来たら、この狭い平地は人でごった返したやろね
宇留津城は平地にありますが、周りを湿地帯で囲まれ、背後は海でかなり要害堅固だったといわれます…
今は造成や埋め立てなどで、どんな感じで城があったのか、詳しくわからないそうです…
神社の掲示板には、大河ドラマの宇都宮重鎮と鶴姫役決定の宣伝が貼ってありました…
この辺では、黒田官兵衛の旗より、宇都宮重鎮の旗のほうが圧倒的に多いです
ちょっと、城の全体像が掴めないので海岸方面へ向かいました
すると…表からでは分からなかったけど、かなり広い敷地で、なんと海に向かって参道があるんですよ
けっこう、この光景は圧倒されます…
この神社(城跡)の海側には、Googleアースで偶然発見した、沖の波止に伸びる長い橋があるんです…最近、よく釣りに行ってる八田港です
この橋から陸地を見ると、宇留津城の全体像がなんとなく分かりますね…
豊前海は湾曲になっていて、ここから小倉方面を見れば、前回ブログした「松山城」がすぐ近くに見えます
そして、大分方面を見れば中津が…
当時も、この宇留津城攻めの様子が豊前国すべてから見えたのでは…
ちなみに、この城の山手側が宇都宮重鎮の住む城井谷になる…
なんとなく、官兵衛の戦略が見えた気がします…
伊達政宗もそうですが、戦国の世で時に非情なこともできると見せないと、官兵衛も天下を狙えた武将とまではいわれなかったでしょう…
負けた城方の多くの人々が、見せしめの為この浜辺で磔にされたとあります…
ちょっと、宇留津城に沈む夕陽にしばし見入ってしまいました…
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