目的地に着いて、私は不安を感じながらも少しは男らしさを見せたくて、気絶するほど冷たい滝に入り、禊大祓を三巻唱え、結局は気絶することなく無事に滝行を終えましたが、帰りの車中では震えと鼻水が止まらなくて、心身ともに萎え切っていました。私は、自分にはやはり無理だ、断って東京へ戻ろう、と決め込んでいました。
帰宅すると、直会があり、酒を飲み、座が団欒になるうちに、私は断りの決意を切り出せなくなってしまいました。やがて直会も終わり、ご夫婦も帰った後で、親父が古ぼけた大学ノートを取り出し、私に手渡してくれました。その表紙には『鎮魂法』と書かれてあり、中を読み進めてみると、文章は文語調で、昭和初期以前に書かれたものであることが分かりました。
親父は直会の時の笑顔ではなく、真顔になって言いました。
「これは儂の兄弟子の島田先生が遺したノートや。そこに鎮魂法のやり方が書いてある。ただな、今までできた者はほとんどおらん。儂でもできなんだ」
私には、親父をもってしてもできない瞑想法があろうなどとは信じられませんでした。
『神の選択』より抜粋
日本最古の神社とされる石上神宮において、今も布留の御霊と呼ばれる鎮魂法が行われていますが、これは神降ろしの儀式で、本書における鎮魂法とは趣を異にします。
一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止布留部
(ひふみよいむなやここのたり ふるへ ゆらゆらとふるへ)
の祝詞とともに、岩笛を鳴らし、身体を揺らしトランス状態となり、啓示を受けんとするもののようです。
下塚さんの受け取ったノートは、明治から昭和初期頃、日本神道各派の禰宜の集まる勉強会が行われ、その席上でレクチャーされていた内容を書き記したものらしい、という情報しかなく、その参加者全員が挑んだものの誰もできず、成し遂げたのは創始者と川面凡児のみ、とのお話しでした。
誰が始めたのかは不明ですが、日本神道に伝わる奥義のひとつなのでしょう。
その川面凡児は
「お前達が崇めるモーセと同じことを見せてやる」
と、訪れてきた外国人宣教師を海へ連れ、気合一発、見事に海を割って見せたという逸話が残されており、実戦的超能力者としてあったようです。
ですが、その様な超能力は時空を歪めるものであり、神の摂理から外れたものであることを後になって下塚さんは諭され、純粋に真理の悟りを求める行として挑んでいくことになります。
さて、実際の鎮魂法について本書に記されてはおりますが、下塚さんのブログでは更に踏み込んで説明されています。
鎮魂法・・・プロローグ
鎮魂法・・・1
鎮魂法・・・2
また、同じ段階をブログ内の「ともしび」シリーズでも詳述されています。
ともしび・・・3
ともしび・・・4
ともしび・・・5
ともしび・・・6
下塚さんは、悪霊による障りを克服しようと修行を始めた訳ですが、
「この鎮魂法ができたら、どえらいことになる。」
との、それまでに達成者のほとんど無かった、非常に難易度の高い行にも拘らず、日々着々と進歩していったのです。
参考までに、実は私も鎮魂法に挑んでおりまして、まだまだ、ここに記してある、玉を宇宙大にまでふくらませ、再び丹田に戻すというところにまでしか至っておりません。
日を置かず、前回の行のイメージが残っている状態で励むと進歩しやすいそうですが、そう毎日はできず、それでも、一度おもしろい事象が起きました。
その日も普段通り、神社の御札に三白を供え、不動明王のマントラを唱えるという作法を行ってから始めました。
私の場合、徐々にイメージを変化させていく為、呼吸を整えて行を始めてから終えるまで、早くても40分、長いと1時間近くかかります。
その行の最中、宇宙大にした玉を戻し始めた時です。
「もっと速いスピードで縮めるんです。」
と、聞き覚えのある声がしてきました。
下塚さんの声です。
私は、
ああ、そうなのか。もっと素早く戻すんだな。
と合点し、素直にいつもよりも玉を縮めるスピードを上げて、行を終えました。
その何日かの後に下塚さんのお店を訪ね、その日、起きたことを報告しました。
「先週の〇曜日、行をしていたら下塚さんの声で『もっと速いスピードで縮めるんです。』って聞こえてきましたよ。」
と話すと、下塚さんは非常に驚いた顔で
「えっ、何時頃ですか? 夕方の5時とか6時くらいですか?」
と訊いてきました。
私がその日、行を行っていた時間帯そのものだったので私も驚き、その旨を伝えると
「その時間帯、いつも私は行を行っているのですが、その日は、玉を素早く戻すことをイメージしていました。私の玉と〇〇さん(ムジェロの本名)の玉がちょうど重なって、そういうことが起きたんだと思います。」
と言われ、尚更びっくりしました。
私が行をしている最中、家鳴りがしたり、ラップ音がしてきたりは何度もありましたが(実家と違い、普段そんな音は鳴りません)、鎮魂法をやっていて具体的に何かが起きたのはこれで2度目で、鎮魂法は、単なるイメージだけの世界ではないんだと知らされた次第です。