『神の選択』 第一章  四 真の意味で鎮魂法を卒業  その2 | 真実を求めて

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人は何故、この世に生を受け、一体何の為に存在しているのでしょうか。

その意味を、探求していきたいと考えています。



 真理の悟りを求めよ、というメッセージ以降、父・不動明王との交信は途絶えました。私は、自分が堕落して見放されたのではないかと悩み始めました。
 時を同じくして、鎮魂行も低迷し、玉を飛ばせなくなりました。
 現実の生活でも、劇団運営に失敗して大きな借金を抱え、その返済のために俳優業以外にもアルバイトを余儀なくされ、まるで奈落の底に落ちてしまったかのような状態でした。

『神の選択』より抜粋


 下塚さんは、「求道塾」という俳優養成所を1987年に立ち上げ、翌年には旗揚げ公演『霊界通信・地獄物語』を脚本・演出共に手掛けて上演し、続けて牧野徑太郎作の『戦場のボレロ』公演も実現させました。
 
 私は両作共、脚本を読ませて頂きました。


 『戦場のボレロ』は原作が刊行されているので読み比べてみれば、どの様な演出を下塚さんが施したのかが分かると思いますが、私はまだ原作を読んでおりません。

 脚本は、実際の『戦場のボレロ』出版記念パーティーの場面から始まります。

 席上で記念写真を撮るのですが、その写真には多くの白い光の玉が写り込んでいて、作者が回顧するような形で作品は展開されていきます。

 舞台は太平洋戦争下の東南アジア、諸外国からの資源輸入を一切禁止された日本にとっての死活問題を解決すべく、欧米列強に植民地支配されていた東南アジア諸国を解放し、大東亜共栄圏を実現させる為のインフラ整備も兼ねた、日本軍による鉄道敷設作戦の現場です。

 戦況は芳しくなく、補給路の確保の為にも線路の早期完成を求められ、各部隊は一心不乱に作業に勤めるもノルマの達成には程遠い中、一部隊長の時井少尉は軍上層部には伏せて外国人捕虜兵士の鎖を解き、共同作業させることで進捗を図ることにする。

 補給は更に滞り、口減らしの為に捕虜の殺害の命が軍から下され、それでもジャングルから食料を調達することで捕虜達を殺すことなく敷設を完遂する見込みが立ち、労をねぎらう宴が開かれた。

 しかし、それを聞きつけられたのか、上層部より部隊指揮者達は処罰されてしまうが、最後まで捕虜達や部下を守ろうとした時井少尉への感謝の念で、今は亡き魂達がオーブとなりパーティーにやってきて祝福を捧げた、こんな感じのお話しだったと記憶しています。


 また、『霊界通信・地獄物語』は、呑んだくれで仕事嫌いな主人公、木下風太郎が酔って車に轢かれて、浮遊霊となるところから始まります。

 風太郎は、浮遊霊としての先輩になる木村栄一と出会い、自分が事故死した事を知り、それでも酒を呑みたくて仕方がなく、体が無くても酒を呑める方法を知っている木村に教えを請うが、ぞんざいで勝手な口ぶりの風太郎に素直に教える訳がなく、しかし、風太郎はその念力の強さを見せ付けて木村を子分にすることで悪さをどんどんエスカレートさせていく。

 木村は風太郎を盛り場へと連れて行き、酔客を見つけてはその者に乗り移り、酒を味わうことを覚えます。

 取り憑かれた者は人が変わり、まるで風太郎となって操られ、酔いもあって何をしているのか判っていません。

 他の浮遊霊に取り憑かれた別の酔客は、突然凶暴になり、店のマスターを割った酒瓶で殺す様な始末です。


 そんな日々を過ごすうちに、風太郎の生命力が落ちていって苦しみ始めます。

 霊界への誘いの日が近づいてきたのです。

 しかし、悪事に染まっている風太郎はこのまま浮遊霊として好き放題の生活を続けたく、今度は霊力の強い人間に取り憑くことで、その生命力を奪い取り、霊界へ上がらずに留まる手段を木村から教わります。

 霊力の強い人間とは、イタコの様な霊媒体質の者を言い、寄りましとして身を開けた瞬間に、イタコが呼び寄せた者よりも先に入ることで力を得るのです。


 風太郎は木村から、

「坊さんや聖職者の様な者だけは近づいちゃいけない。あいつらは訳のわからない金色の光に守られていて、俺達はえらい目を見るぞ。」

と釘を刺されていたにも拘らず、その傲慢な性格から、ひとりの修行僧に取り憑こうとして、気取られ、地獄へと落とされてしまいます。
 
 風太郎は地獄でも、その念力の強さを持って地獄霊達をひれ伏させ、欲望の儘に振舞ううちに、その地獄の支配者たる鬼によって次々と地獄の階層を落とされていきます。

 闘争の町から鬼地獄へ、そして無双地獄へと。


 光の全く差さない真っ暗闇の無双地獄で身動きも取れず、永久にそこで過ごさなければならないと感じた時、ふと風太郎は母親のことを思い出します。

 母親の愛を思い出した瞬間、風太郎の体は、ほんの少しだけ浮き上がります。

 そして、母の愛を懐かしみ、懐古の情と悔悟の念に満たされてくると光明が見え、どんどんと体が引き上げられていくのです。

 そして、ひとりの天使と出会うのですが、その天使との出会いで風太郎は劇的に前世での自分も天使であったことを思い出し、その天使が木村で、共に働いていた天使仲間でもあったことにも気付くのです。

 自分の使命を忘れ、悪事の限りを尽くしていた生涯を恥じ、半地獄まで戻った時には、そこで彷徨う霊達を諭そうと法を説くものの、彼らには死の自覚が無い為にまったく取り合おうとはしません。

 どうにもならず、風太郎は木村に天使として人に尽くすことを誓うことで幕は下りる。


 と、こんな感じだったとは記憶していますが、せっかくお借りしたのに、肝心のラストシーンなどを詳細に覚えていないのを申し訳なく思います。

 地獄に落ちた者の反省を促す為に、鬼が更に厳しい下層の地獄へ落としている節を読み、随分と鬼は人道的というか人間ぽいな、と感じて下塚さんに質問したところ、

『鬼は元々は天使だったものがサタンに飲み込まれている者なので、そのような一面も持ち合わせているんです。』

と聞き、納得致しました。


 演劇にはまるっきり興味の無い私ではありますが、この公演と下塚さんのことを当時知っていたならばきっと、観に行ったに違いありません。