間違った情報を信じ込まされてきたために戦前は大変多くの国民が悲惨な戦争に駆り出され餓死、病気で命を粗末にされた。戦後は原発は絶対安全、日本の繁栄の為と信じ込まされてきた。

政府は嘘をいう。嘘を言って国民を間違った方向に誘導する。これは洋の東西を問わない。

間違った方向へ暴走する政府を監視するのは国民、市民なんや。その武器が「知る権利」や。マスコミは国民の知る権利に奉仕する代理機関にすぎん

「取材する自由」「知る権利」に〝配慮〟ってゆー。しかし、正確に言うなら「大新聞、テレビへの配慮」や。「大新聞、テレビへの配慮」の典型が記者室を提供し記者会見を独占させる記者クラブや。当局とのなれ合いの温床、情報の独占…こんな〝配慮〟などいざという時になんの役にも立たん。

そもそも知る権利はお上の〝お恵み〟ではない。

政策を提案し決議する国民の代表をだれにしたらもっともよいのか、国民が選ぶのに立候補者の考え方や献金のこと、様々なことを知っとく必要がある。それを保障しているのが「国民の知る権利」や。「知る権利」は民主主義の根幹といわれるゆえんや。

その「知る権利」。歴史をさかのぼればアメリカのケーブルテレビにおける、視聴者の反論権を問うた「反論権裁判」の勝利的判決から「情報アクセス権」、「自己情報コントロール権」へと発展してきたんや。比較的新しい権利やけど戦後の様ざまな裁判の結果勝ち取られた「判例」や闘いの積み重ねの中で実質的に確立された国民の権利や。お上の〝お恵み〟ではない。

「知る権利」は教育を受ける権利とおなじや。教育権はお上の〝お恵み〟なんか?そんなこと、憲法のどこにも書いていない。世界をみてもそんな国はしらん。知る権利も同様に〝お恵み〟でない。教育権と同様、国民の当たり前の権利なんや。

それが〝配慮〟ってなんやねん???

「教育権」に〝配慮する〟ってありえんやろ。なぜなら〝お恵み〟でなく、人が生きる権利があるのと同様、当たり前すぎることやからや。配慮もくそもない。それが〝配慮する〟って、お上の〝お恵み〟に勝手にすり替えて、「〝お恵み〟やからお上の考え方、機嫌次第で一部取り上げちゃうこともあるからね」ってゆーことや。知る権利は実質確立された権利や。これは確立されてる「知る権利」の破壊、変質、骨抜き、後退や。

沖縄返還交渉で日米密約を特報した記者が逮捕され社会的に葬り去られた戦後ジャーナリズム史上非常に有名な事件〝西山事件〟ってのがある。先に亡くなった山崎豊子さんも作品にし映画化もされた。そこでアメリカ当局側に流されたチョー莫大な資金の使途はまったく解明されていない。かりにアメリカからその超莫大なお金の一部でも還流し、ふところに入れ、選挙活動資金やマスコミ対策費につかってるような国民の代表がいたとしたら、そんな人、政党にだれも票は入れんやろ。

国民がしっかり政府を監視できるように今回の国家秘密保全法は決して許してはあかん。




秘密保護法案、「取材の自由」明記で成立の公算 : 読売新聞 http://p.tl/nwxl