最近色々
朝霞本部道場
昇段審査論文上 井口和紘(上石神井支部)
指導者は如何にあるべきか
現代の空手に於いて、指導者の役割は多様化していると考える。
先ずは、武道として
空手は本来、自ら攻撃はせず、護身を会得するものである。
それが先人達の考えた「型」に集約されている。
「型」を正しく理解し、継承していくことが重要である。その為に指導者は常日頃鍛錬を怠らず精進しなければならない。
また、間違った継承は各流派独自の特徴を損ないかねないので勉学にも励む必要がある。型本来の攻防を理解する上で、基礎となる突き、蹴り、受け、立ち方等の基本をしっかり押さえなければならない。
そして、もう一つ大切なことは道場訓にもある五つの要素で、社会における人格形成に必要不可欠である。個々へ如何に上手く伝えていくかコミュニケーション能力も磨く必要がある。
次に競技として
2020年オリンピック・パラリンピックに採用されメディアでも取り上げられて注目されている分野である。
競技である以上、勝敗がついて回る。
本来なら選手へ勝利を目的とした指導が必要であるが、それ以前に過程が重要であることを忘れてはならない。
ただ強いだけが選手ではない。
相手を敬う心、基礎の重要性、基礎体力のトレーニング、メンタル面、様々な土台があってこそ素晴らしい選手が育つと考える。
基礎やトレーニングは個々の能力を考慮して作成し量も必要であるが質を大切にして見極める必要がある。オーバートレーニングで選手を潰すようなことがあってはならない。
また、選手が自主的に行っている際も身体の状態を把握する目を養うことを怠ってはならない。
女性の場合、思春期における体重制限などで過度な食事制限、ダイエットなどでFATにならないようにしっかり管理しないと将来の生活にも影響するので注意を払わないといけない。
さて、技術的な面であるが個々によって体格、骨格が異なるので強制して身につけさせるのではなく段階を踏んで教えた方が怪我のリスクが減る。
組手の場合、近年色々な技が出てきている。指導者は、選手自身が一流選手の試合を見て、自分で考え研究する大切さを促す事が大事である。
つまずいた時やアドバイスを求めてきた時は全てを教えるのではなくポイントを絞ってヒントとして告げる。その為には指導者自身の研究も怠ってはならない。また、近年の組手競技はルールの変更が付きまとう。常に最新の情報にアンテナを張っていなければならない。
生涯スポーツ・健康を目的として
近年のスポーツを通じてのコミュニティ、格闘技をモチーフとしたフィットネスやダイエットなどがある。
コミュニティを目的としている方であれば、指導者は空手を行える場所の確保やイベントなど企画立案し提供する役割を果たす立場であると考える。健康やダイエットであれば、個々の健康状態を第一に確認・把握して体調不良や怪我の無いように予知しなければならない。
ハラスメント問題について
近年、各スポーツ界においてパワーハラスメント、セクシュアルハラスメントが問題となっている。
空手界に於いても指導方法を間違えれば起こりうる問題である。過度な練習や必要以上の接触、また言葉による叱責などで発生すると考える。まして、体罰は決してあってはならない。
こうした事が原因で刑事・民事訴訟が起きているので特に注意して指導しなければならないと考える。
結論として、多様な分野へ対応するため、常にアンテナを張って最新情報を入手する。その為には、人脈を作り講習や研修会への参加を積極的にする。
個々によって捉え方が異なるのでコミュニケーション能力を向上させ理解しやすく伝える事も大切となる。
個々の体調の変化を見極め、怪我などの処置などその場で出来る応急処置方法も会得する力も必要である。
指導者はどの分野においても己自身の鍛錬を怠らず、おごらない事が必要不可欠である。
下池貴志【初段 昇段審査論文】空手道修行で得たもの
下池貴志
社会人になってから、ほとんど運動らしい運動もせずに過ごしてきた。
「いつかは武道を学びたい」という気持ちはあったが「いつか」のままで20年近くが過ぎてしまった。
仕事の担当が変わり時間に余裕が出来たことをきっかけに思い切って体験入門をさせていただいた。
39歳の時である。
土佐宗家に立ち方から一つ一つ丁寧に教えていただいたことを今でも覚えている。
「これほど丁寧に教えてくださる先生がいらっしゃるのなら続けられる」そう思い、その日に入会のお願いをさせていただいた。
稽古で思い切り声を出す、体を動かすことが楽しかった。
しかし、はじめの頃は基本稽古の途中に休憩をもらいながらでないと続けられない。
更に、仕事帰りの稽古では「疲れていて行きたくないな」と思うこともあったが、終わった後は「行ってよかった」と思えた。
それは基本的なことから丁寧に教えてくださる先生方、先輩方にご指導をいただけていたことと、社会人になってから空手を始めた、同世代の人たちがいたことが大きな要因だと思う。
一緒に稽古をしている仲間であるが、同世代の社会人ということで、負けたくないと思える身近な目標だったからである。
一緒に頑張っている仲間がいるということは本当に大きい。
稽古を続けている中で、ふとした瞬間に「今なんかうまくできた」と感じられることがある。
もう一度同じようにやろうとしても、うまくいかないのであるが、このふとした瞬間の感覚を非常に嬉しく思う。
稽古を続けていれば、少しずつでも上達していける。きつい稽古だが、それを上回る楽しさを感じることができる。
私が空手道修行で得たもの。それは以下の2つである。
「一生続けたいと思える趣味ができたこと」
「空手を通じて仕事関係以外の仲間が増えたこと」
この度、初段審査に挑戦させていただくこととなった。
入会時の目標の一つである。ここまで到達させていただいたことについて、先生方、先輩方に改めてお礼を申し上げたい。
今後も体が動く限り、武徳会で空手を続けていきたいと思う。
菊地泰生【初段 審査論文】
弊会では、一般の初段と四段の審査科目に論文が含まれています。
空手道の上達ももちろんですが、その「人」の内面(考え方)を面に出し、振り返り、自らを識るためのものでもあります。
今回は、幼児で入門し、現在高校生になった泰生の論文(2018.12月受審)を紹介します。
「空手道修業で得られたもの」
気付いたら僕は空手をもう12年も続けている。
初めて道場に入ったのは5歳のときだった。
親に連れてこられて、友達と遊びに来ていただけだと思う。
その当時、僕は喘息とアトピーで体が弱かった。
性格も格闘技には向いていない。
組手が怖くて泣いたことがある。
先生が恐ろしくて泣いたこともある。
とにかく泣き虫だった。
弱くて、大して上手くないそんな僕が今こうして空手を続けているのは、よく考えると不思議に思えてくる。
同じ年の連中もいつの間にか辞めてしまっていて、今ではほんの数人しかいない。本当に不思議だ。
空手は弱い僕のことを育ててくれたと思っている。
今、胸を張って強くなりました、とは言えないが、昔の自分よりは確かに強くなっただろう。
身体や心など、僕のことを空手は強く成長させてくれた。
それは、高校でラグビーをやっていることが示しているだろうと思う。
昔の僕のことを知っている人に、ラグビー部に所属していると伝えると、とても驚かれる。
さらに、フォワードでスクラムを最前列の真ん中で組んでいると言うと、もはや絶句される。正直、自分でも驚いている。
入部当初は同学年の仲間が10人いたのだが、今では半分の5人になっている。
周りに流されずに続け、痛くてキツくてつらいラグビーをそれでも楽しめたのは、空手で培ってきた根性や打たれ強さのようなものがあるからだと思っている。
僕は空手を通してたくさんの貴重な経験をさせてもらった。
空手で受ける刺激はおもしろくて良いものばかりだ。
学校だけでは味わえない経験が多くある。
どれも印象的で思い出深いものばかりだ。
何より空手道というものに出会えて本当に良かったと思っている。
週に1回のペースではあったが、空手を続けてきたこの12年で僕は、大きな自信を得ることが出来た。
何か1つのことを諦めずに続けるのが、難しくてとても大切なことだというのを理解することが出来た。
継続は力なりという言葉は本当のことだった。
まだまだ未熟だが、これからも空手を楽しみながら頑張りたいと思っている。
「優しいだけが男じゃない」という師範の言葉を胸に刻み、男らしく強くあることを目標にして生きていきたいと思う。