テロ行為が許されないのは当然の事なんです。 | 源造オヤジの独り言

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テロ行為が許されざる行為だという事は誰にでも分かることです。


平和を愛する人類にとって、

突然、しかも無差別に、

人々を恐怖におとしいれる行為を許せるはずがありません。



では、テロ行為を無くすにはどうすれば良いのでしょうか?



日本にはその昔、「仇討」という行為が存在しました。

その行為は、物語などで脚色されて、親の仇を十年以上に渡って探し続けて、

古傷の形や刺青なんかをヒントに相手を特定出来た時、


「ここで会ったが、百年目!!」


と、自らの犠牲もいとわずに立ち向かって行く。



でも、この「仇討」という行為は、仇を討たれた側の家族がまた、「仇討」をする、

という悪循環に陥ってしまう事から、禁止されるようになった、と聞いております。



また、昭和の時代には、

子供がけんかに負けて泣いて帰ってくると、

「やられたら、やり返してこい!!」

と、おやじに怒鳴られて、家から追い出されるような時代も確かにありました。



今の時代では考えられないでしょ?



暴力に暴力で立ち向かったって、

ジャイアンとのび太ほどの 『格差』 がある場合には、

とても太刀打ちが出来るものではありません。


圧倒的な力の前には、頭を使ってやり込めるんです!

「例えば、ジャイアンのお母さんを連れてきたりするんですよね(笑)

もちろん、そこでドラえもんの道具もふんだんに利用されます。



我々の現実世界でいうと、 『警察』 に頼る、という事になるのでしょうか


『警察』 に頼ると、法律に従って罪は裁かれ、刑罰が確定し、刑務所で罪を償う生活が始まります。

場合によっては、死刑にもなったりします。


犯人は、法に裁かれ、また、社会的にも制裁を受けます。



日本は、先の大戦で負けました。


もう二度と、『戦争』などというバカな行為はしません、

国民を無駄に殺すような真似もしなければ、

他国民を殺すような真似もしません、と誓ったのではないでしょうか?


その代わりに、米国と安全保障条約を結び、守ってもらいます、と。

世界の 『警察』 に守ってもらいます、と。

その為には、自国の領土も光熱費も、『おもいやり』という名で提供致します、と。



そして日本は、

「殴られた時には、ガードはしますよ」

「でも、殴り返しませんよ」


ガードをする為に、自衛隊を設立した。

自衛隊は軍隊だ、というが、その位は許されても当然だろう。



もし、そんな日本に他国が攻撃を仕掛けて来たらどうだろうか?



『無抵抗である』 と宣言した相手を攻撃したとなれば、

全世界的に、社会的制裁を受けてしかるべきだろう。


「卑怯だ」「卑劣だ」と罵りながら、

米国を筆頭とする全世界がその罪を裁いてくれる事だろう。



だから、日本国土さえ守り切れば、

脅威は他国が取り除いてくれるだろう、という、

半ば他人任せな国防であったのかもしれない。



でも、そんな立ち位置に立てていた日本は、

なんて素晴らしい国なんだろう、

なんて幸せな国なんだろう、と思っていた。


自国民が血を流す事はない、

自国民が人を殺す事はない。


それを平和とは言わないのだろうか?


積極的に平和を築くという事は、

新入生の1年坊主を、『生意気だ』 と言いがかりを付けて制裁を下す事ではないだろうか?

その、連絡係であったり、パシリであったとしても、共犯には違いないだろう。



『人の命は地球より重い』 のではなかったのか?


世界が人殺しを止めない、のだとしても、

日本だけは、人殺しをしない国であって欲しい。

全国民が文民であって欲しい。



ジャイアンの威を借るスネ夫が、余計な事をしてジャイアンに殴られてしまう前に、

日本は、大人しく 『のび太』 であった方が幸せなのではないか、と私は思うのだが。



げんぞう