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先日、秘密保護法案が閣議決定された。
東京新聞:秘密保護法案を閣議決定 国民の懸念 置き去り:政治(TOKYO Web)
トップ > 政治 > 紙面から一覧 > 記事2013年10月25日 夕刊特定秘密保護法案に反対し、首相官邸前で抗議活動をする人たち=25日午前8時55分(戸田泰雅撮影) 機密情報を漏らした公務員らに対...
日本もいよいよ「不条理な時代」に足を踏み入れようとしている、のかもしれない。
不条理とは何か。
言うまでもなく、条理が通用しないということだ。
それでは条理とは何か。
■ 世界大百科事典 第2版の解説
一般には,物事のすじみち・道理という意味であり,法律上でも,ほぼこのように用いられるが,法特有の意味がある。 1875年太政官布告〈裁判事務心得〉3条は,〈民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ〉と規定し,条理をもって民事裁判の基準とすべき旨を定めた。この布告が現在でも法律としての効力をもっているかどうかは問題であるが,学説は,一般に,この規定の精神を根拠として,条理を,制定法,慣習に次ぐ私法の法源の一つと考えている。
…と、まあこんな定義らしい。
もちろん不条理とはあくまでも取り締まられる側からの受け取り方で、取り締まる側からすれば不条理でも何でもない。
ただ、その根拠を秘密にするだけである。
言葉にすれば実に単純なことだが、当然これは「当局」の都合で思うがままに運用されることは想像に難くない。
それゆえに反対の声がようやく上がりつつあるのだが、今後どういう展開を見せるのだろうか。
と、これは前置きである。
なぜおれはいつもこんなに前置きが長いのだろうか。
もっと単刀直入に行くべきだ、と思う。
そういうわけで、不条理の時代において、直感あるいは直観は必須のものとなるであろう。
なにしろ情報の真偽を確かめようとすれば、場合によっては牢屋にぶち込まれかねないからだ。
そんなことを今回の閣議決定の報道を聞いて思った。
だからと言って、おれは別に政治的な事柄だけのことを指しているわけではない。
絶えず疑心暗鬼になれというわけでもない。
こうした事象を通してわれわれの意識が全体として直感、直観を重視する方にシフトしていくのだろうと思う。
情報化社会が極まった挙句に頼りになるのは結局のところ直感であるというあまりにもシンプルな地点を目前にしていると思うとある種の切なさを禁じえないが泣き言を言っても仕方ない。
もちろん、真贋を見極めることのできる「知識」は必要だと言えば必要だ。
たとえば、バナメイエビと芝エビの違いを見分けるときなどは役に立つことだろう。
だが、ある種の「情報」に関してはその真偽を確かめる術もないし、そうした知識は封印されるだろう。
そんなときどうすればいい?
ネットワークは寸断されるだろう。
そんなときはどうすればいい?
おれはまた「審判」のラストシーンを思い出している。
「犬のようだ!」
ただ、今回は少し意味合いが違う。
われわれは今後、数キロ先の匂いを嗅ぎ分ける犬のように「情報」が放つ匂いを嗅ぎ取ること、直感という嗅覚を必要とするだろう。
条理という鎖に繋がらない直感の時代が到来する。
そこでは不立文字が旨とされ、行動が言葉になるだろう。