同じ、「千」の字ね。
初対面の千歳にママが嬉しそうに言ったとき、少し寂しさを感じたことを覚えている。理由は覚えていないし、当時分かっていたとも思わない。けれど、寂しさの中枢だけが残って、いまだに私を置いてけぼりの迷子のような気持にさせる。
千歳の一家が引っ越してきたのは、ママがまるで駆け落ち同然に家を出たすぐ後のことだった。まだ慣れない土地にやってきた夫婦とまだ幼い千歳を、祖父母は新しい家族のように可愛がったらしい。その何年後かに生まれた孫の顔も見せに帰ってこない実の娘よりも、よほど家族らしい時を刻んだのだろう。
実家に帰ってからのママは、それまでの親不孝な人生を取り戻すかのように、まっとうに生活しようとしていた。近所の小さなスーパーで品物を並べたりレジを打ったりした。毎月買っていたあのファッション雑誌は、お弁当特集が幅を利かせる主婦の雑誌に取って代わられた。ママは償いきれたのだろうか。結局ママは早死にして「一番の親不孝」というものをしてしまった。私は時々思う。「まっとう」がママを殺してしまったのかもしれない、と。
明るく屈託のない人だったと千歳は言う。大人になり切れないママの淋しさを、千歳は光と解釈してまぶしげに見つめていた。
ママと千歳は同じ「千」の字を持ち、私とママは同じ「春」の字を持つ。けれど私と千歳の間には何も無い。
私たちは、ママを通してでしか、繋がることができない。
ランキング参加しています。よろしければクリックお願いします↓
にほんブログ村