父が運ばれたと兄嫁から連絡を受けて、M市の病院まで車を走らせた。手術室横の待合室に案内されると、落ち着きなく両手を組んでいる兄と、不安そうな顔をした兄嫁に気遣われている母の姿が目に入った。
「遅かったな」
兄にそう言われ、ごめんと返す。
「今は手術中?」
「そうなんだ。腸が腐っているだとか」
兄もよく分からない様子で答えた。昔からイレギュラーな事態には弱い人だったので、今もあまり頭が回っていないのだろう。
「お母さん、大丈夫?」
母に声をかけると、ぼんやりとした表情で私を見上げた。
「美代、遅かったわね。何してたの?」
また同じことを聞かれ、少し苛ついてしまう。
「義姉さんから連絡貰ってすぐに仕事抜けてきたんだけどね。道が混んでたものだから」
「遠くに住んだりするからよ。この辺に住めばいいのに」
今言うことじゃないでしょ、と思わず言いたくなるのを抑える。
「この間からおなかが痛いとは言っていたんですけど、今日の朝から熱が出てきて。昼頃に様子もおかしくなってきたので救急車を呼んだんです」
私がもっと早く気が付いていれば、と言う兄嫁に気にすることはないと言葉をかける。
「お父さん、手術長いわねえ」
母がぽつりと呟く。
「もう、駄目かしらねえ」
「そんなこと言わないでよ」
思わず語気が強くなる。母は昔からこういうところがある。妙に冷淡というか無神経。今も夫が生死を彷徨っているというのに、どこか他人事のように淡々とそういうことを言う。
「大丈夫だよ。父さんなら、大丈夫」
兄が自分に言い聞かせるようにそう言う。まるで意味のない言葉だが、このくらい狼狽しているほうが、よほど人間らしいのに。しかしそんなことを考えている私も、きっと母寄りの人間なのだろう。
恐ろしく長く感じられた時間の後、手術を終えて出てきた医師に父の病状について説明をされた。腸が詰まってしまって一部に穴が開いたせいで全身に感染がおこったのだと彼は言った。昔やった盲腸の手術が関係しているかもしれない、と彼は続けた。
「手術自体は無事に終わっていますが、今後どうなっていくかは金城さん次第ですね。お歳もお歳ですし、最悪の場合も想定していただかなくてはいけません」
必要以上に感情をこめないその話し方のせいか、私たちはすとんとそれを受け入れてしまった。明日の朝になれば動揺に襲われるのかもしれないが、深夜の病院という異常な環境で、感情を動かす気力も体力も残っていなかったのだ。
「今日はうちに泊まっていけば?こんな状態で車運転したら事故起こすぞ」
兄はそう言ったが、断って一人車に乗り込んだ。とは言え自宅まで無事に辿り着けるとは思えず、近くのビジネスホテルに入った。
親不孝なのだろうか。けれど、今母と同じ家に帰ることは到底できそうになかった。
昔から母とは折り合いが悪かった。似た者同士なのだ、と兄は言う。本当にそうなのだろうか。もしそうならば、例えば同年代の友人としてならば、母と上手くやっていけたのだろうか。
母は必要以上に世間体を気にする人で、正直に言ってしまうと、私はそれの一番の被害者であったと思う。兄には多少甘いところもあった母も、私に対しては理想の娘像を当てはめようと躍起になって厳しく当たっていた。学生時代は勉強はもちろん交友関係にまで口を出され、休日に友人と遊びに出かけたことは数えるほどしかない。大学に進学した後も、男を作るのを恐れてか厳しい門限を作られた。今になって思うと、なぜ自分がそれを厳守していたのか分からないが、当時は母の言うとおりにするのが当たり前だったのだ。
しかし社会人になってまるで手のひらを返すように結婚を急かされ始めた時にようやく私は気が付いた。私は私のしたいようにしたことがない。進学先も、付き合う友人も、趣味も、就職も。恥ずかしながら、当時私は男の人とデートすらしたことがなかったのだ。
いい歳になって、私はようやく反抗期を迎えた。家からでは通えない部署での勤務を打診されて飛びつき、さっさと一人で物件を決めて家を出た。母は最後まで反対していたが、無関心な父の『いいんじゃないか』との言葉を盾に私はようやく家を出たのだ。
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