「復活塩 昔食べたにぎり飯の味が忘れられず……」発売開始! | 石井かほり オフィシャルブログ

「復活塩 昔食べたにぎり飯の味が忘れられず……」発売開始!

私が能登と出会うことになった「揚げ浜塩」のリデザインをさせていただきました!

その名も
「復活塩 昔食べたにぎり飯が忘れられず……」

 

 
 
 
 ちょっと90年代楽曲タイトル風味w

ちなみに、販売もさせていただくことになりましたので、ご入用の方は下記メールアドレスまで、お名前、ご住所、電話番号、個数を記入の上ご注文ください。

88g 600円(税込)
gulicreates@hotmail.co.jp

お支払い方法と送料については返信メールにてご連絡致します。

揚げ浜塩とは、、、
 「手塩にかける」の語源となった昔ながらの塩づくりで、「塩田(えんでん)」と呼ばれる砂地に桶で海水を撒いて、太陽と風で乾かし、砂が結晶化したら掻き集め、その上から海水をかけて、砂から溶け出した濃い海水を大きな釜で一昼夜ゆっくり焚き上げて作るという、それは手間のかかるお塩です。更に、天候に左右され、本当にひとにぎりしか作れない貴重な代物。


この塩づくりを今まで一度も途切らせずに続けて来たのが、能登半島の珠洲市(すずし)という場所で塩づくり職人として暮らす角花(かくはな)さん一家です。

日本の専売公社による大量生産への歴史的背景の中で、揚げ浜塩田による塩づくりを続けることは容易なことではありませんでした。

先代の角花菊太郎さんは戦争中、塩が不足した際、命をつなぐ塩づくりを任され内地に戻されました。そして戦友のために塩を作っている間に終戦を迎えたことで、塩に命を助けられたと感じ、この塩づくりだけは一生続けなければならないと決心したのです。しかし現状は、夏場借金をしながらでも続けてきたと言います。その想いを息子の豊さん、孫の洋さんが引継ぎ、奇跡的に今にも遺されたのでした。


そして、1997年専売制廃止を受け、この地域で古来から伝わり、角花さんが守り抜いてきた塩づくりを再び復活させよう!と地域が立ち上がったのです。

その一人である中前賢一さんは建設業を畳んで心機一転の塩づくりへの道でした。かつて塩づくりをしていた職人さんの元で一から修行をして技術を身につけました。

私は初めて能登を訪ねたのは、塩田を観に行くためでした。炎天下大変な思いをしながら塩を作る姿を見て、電気分解で大量に塩が作られる今、なぜこの方法を選ぶのか、ということが気になりました。

すると、中前さんが言いました。

「体に良くて美味しいものを作りたくてね。そして何より、昔食べたにぎり飯の味が忘れられんかったんや……」と。

 

「正しい」と感じました。そして、大きな釜の中で少しずつ結晶化してやがて白い山になった塩を目にした時、私は生まれて初めて塩を見た気さえしたのです。

摂氏60度を越す夜通しの釜焚きにお付き合いさせていただき、釜屋を出た時、目の前に広がっていたのは、朝陽でピンクに染まった海。

火照った頬に冷えた浜風を受けながら、この海があらゆる生命の源なのだ、という強いメッセージを体が理解し、静かな興奮を覚えたことを今も鮮明に覚えています。

そうそう、8/1-8/7までこの塩づくりを追ったドキュメンタリー映画『ひとにぎりの塩』(http://hitonigiri-movie.com)が大阪のシアターセブンさんにて上映中!
そこでもお塩買えます!

http://www.theater-seven.com