本能寺の変はなぜ起こった?~黒田官兵衛演出説~ 「武将浅成」
■信長の死後、自らの君主秀吉に、
「ご運が巡って参りましたな。これであなたの天下です」と秀吉をそそのかしたこと。
■毛利と秀吉との講和をわずか1日でまとめあげた交渉力の高さ
いわゆる「中国大返し」では官兵衛が先回りし、
街道で炊き出しや水を準備していた点。
■後の豊臣政権の五大老に、毛利輝元と小早川隆景の2人が選ばれている点。
■また黒田は有岡城の戦いでは「孝高(黒田のこと)は敵に寝返った」
との流言が流れ、怒った信長が嫡子松壽丸の殺害を部下に命じており、
(史実では松壽丸は竹中重治が匿っていたため殺害されなかったが、
フィクションでは松壽丸は殺害され竹中重治が松壽丸に
顔のよく似た子供を連れてきたという説もある。)
それに関する信長への怨恨説。
■秀吉から常に野心の高さを警戒され、
豊臣政権下では重職へ就くことがなかったこと、
■後年、関ヶ原の戦いでは東西両陣営が関ヶ原に集結した隙をつき
九州各地を平定した野心の高さも説の一つである。
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