軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。

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こんにちは、武将浅成です。

最近よく思うのですが、
家康が天下をとれたのはやはり「国家」や「民」のことをしっかり考えていた
からなのではないかと。

信長や秀吉はいわば「天才」であり圧倒的なカリスマ。
これは普通マネができません。

ご存知のとおり、天下取りもあっという間でしたが、、
没落するのも一瞬でした。。
一方の家康は一般人。(語弊がありましたらすみません)

しかし幼少の頃(人質時代)今川家の僧、太原雪斎に論語などを徹底的に
教えられたそうです。(太原雪斎は今川義元の参謀)

論語とは2500年前の中国(今の中国とは全然違います)の
孔子が語った言葉を弟子たちが編纂した、いわば「東洋の聖書」的なものです。
実はここには生き方など東洋のエッセンスがぎっしり詰まっています。


この思想こそ家康に天下取をとらせた。
そう思うのです。
生まれ持った才能より「徳」や「人の和」を大切にできる人が
最後には残るように思います。


最近僕も何か人のお役に立てる、
公の器として生きてみたいとつくづく思います。

普段僕はWEBデザインやら(ホームページ制作)、
WEBマーケティング(商品販売方法)をビジネスとして生きてていますが、
その技術を自分のためだけに使うのではなく、
人のお役に立てることはないかいな。





皆様今年はありがとうございました。
今年の「軍師官兵衛」とっても面白かったですね。

一視聴者である僕が、
ドラマを通して皆さんと出会えた事に感謝します。

また毎週見ていたものがなくなると
心に穴が開いたようになるのは僕だけでしょうか?

ドラマは表の歴史で構成されていますが、
この度、裏の歴史を学ぶきっかけにもなり、

「孫子の兵法」や「論語」「易経」など、
官兵衛さんの戦略の判断基準となったものも学びました。
(まだまだですが・・)

官兵衛さんの天下は成りませんでしたが、
その想いはしっかりと感じ取れましたし、
今後の僕の人生でも大いに活きそうです。

さて、このブログの今後ですが、

①このまま歴史をめぐるブログにするか、

②僕の仕事の事を書いた個人的な日記にするか、
(WEBデザイン・マーケッター)

「ここが思案のしどころよの~」


状態です。

お正月はどこか城跡でもいこうかな~?
みなさまよいお年をお過ごしください。


追伸・あっ!今日は最終回の再放送がありますね^^
こんばんは、明日で「軍師官兵衛」最終回ですね><
私は10月より肺炎でしたが、復活しました^^
(もちろん官兵衛はみてましたよ!)

しばしブログの更新をしておりませんでしたが、
またよろしくお願いいたします。


■【戦国TV】寄付で史跡を保護し、後世に戦国のロマンを伝えるTV

■「隠居後、黒田官兵衛の京都猪熊での暮らしが始まります。
しかし、程なくして体の不調を訴えるようになり、
有馬に湯治に行きます。

慶長9年(1604年)、有馬から帰り、
京都伏見の藩邸に移ります。

官兵衛はそこでほとんど床の中で過ごすようになります。
家臣らが見舞いに訪れますが、
官兵衛はこれらを無碍に扱ったり、
言わなくても良い非難の言葉を口にしたリします。

家臣たちは「殿ご乱心」と恐れおののきます。
見かねた長政が「わざわざ見舞いに来てくれた
人たちにひどい言葉をかけないでください」となだめます。

しかし、官兵衛はこう語ります。
「わざと乱心を演じている。家臣にひどい仕打ちをして、
自分が疎まれて、早く長政の代になってほしいと思わせるためだ」

当時は主君が無くなると家臣が殉死する風習がありました。
自分が憎まれれば殉死も無くなり、
家臣がそのまま長政に引き継がれます。

官兵衛の演技にはこのような長政への思いやりがあったのです。
官兵衛が戦場で愛用していた合子の兜は栗山善助に与えられました。

「この兜を自分だと思い、長政を子だと思って導いてくれ」
死後にまで父の役割を善助に託そうとしたのです。



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武将浅成

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