わざと乱心を演じている。 | 軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

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2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。


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■「隠居後、黒田官兵衛の京都猪熊での暮らしが始まります。
しかし、程なくして体の不調を訴えるようになり、
有馬に湯治に行きます。

慶長9年(1604年)、有馬から帰り、
京都伏見の藩邸に移ります。

官兵衛はそこでほとんど床の中で過ごすようになります。
家臣らが見舞いに訪れますが、
官兵衛はこれらを無碍に扱ったり、
言わなくても良い非難の言葉を口にしたリします。

家臣たちは「殿ご乱心」と恐れおののきます。
見かねた長政が「わざわざ見舞いに来てくれた
人たちにひどい言葉をかけないでください」となだめます。

しかし、官兵衛はこう語ります。
「わざと乱心を演じている。家臣にひどい仕打ちをして、
自分が疎まれて、早く長政の代になってほしいと思わせるためだ」

当時は主君が無くなると家臣が殉死する風習がありました。
自分が憎まれれば殉死も無くなり、
家臣がそのまま長政に引き継がれます。

官兵衛の演技にはこのような長政への思いやりがあったのです。
官兵衛が戦場で愛用していた合子の兜は栗山善助に与えられました。

「この兜を自分だと思い、長政を子だと思って導いてくれ」
死後にまで父の役割を善助に託そうとしたのです。



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武将浅成

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