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軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。


■【戦国TV】寄付で史跡を保護し、後世に戦国のロマンを伝えるTV

■【中津城築城 官兵衛、知恵の見せどころ】
本丸北側には、石垣にу状の目地が通る場所がある。
川沿いの四角く加工された石が黒田の石垣、
その上にのる自然石が細川時代の石垣として有名。


本来、黒田時代は自然石の石垣のはずだが・・・・
実は、官兵衛は中津城築城の際、川上にある
福岡県上毛町の7世紀の遺跡「唐原山城」の石を
持ち出し石垣を築いた。

その結果、川沿いから北側にかけて、
ほぼ7世紀の山城の石のみを使用した石垣ができあがった。
直方体で、一辺が断面L字にカットされているのが目印。
「早く効果的に」~官兵衛、知恵の見せどころだ。

大河ドラマ「軍師官兵衛」推進協議会WEBサイトより


【コメント】
古代のお城の石垣を使うのは効率的かつ
ユニークですね^^



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■【戦国TV】寄付で史跡を保護し、後世に戦国のロマンを伝えるTV

■天正16年(1588年)4月20日、
長政の招きにより中津城へ向かったが、
孝高が長政に授けた謀略により鎮房は酒宴の席で謀殺された。

同行していた小姓・松田小吉は、
19人に斬りつけたが京町筋で討死し、
合元寺に留め置かれた家臣団も黒田勢との斬り合いの末、
全員が討ち取られた。

また、鎮房の父・長房も城井谷城に攻め寄せた
黒田勢に殺害された。嫡男の朝房は一揆鎮圧のために
黒田孝高と同行して出陣中であった肥後国で孝高に暗殺された。


乱世ですね・・・。


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○摩尼殿(まにでん)

マニとは梵語の如意のこと。天禄元年(970)創建。
本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、
天人が桜樹を礼拝するのを見て、
上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。

そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となりました。
本尊六臂如意輪観世音菩薩は、1月18日の鬼おいの日に開扉されます。
国指定の重要文化財四天王像もここに安置されています。
孫子の兵法に囲師必闕(いしひっけつ)の戦法がある。


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天正5年(1577年)秀吉軍は播磨に侵攻。

福原氏の高倉山城を攻撃した時、三方を囲み一方だけ空けて猛攻した。

福原城主はたまらずあいている一方から逃れ出た。

官兵衛はあらかじめそこに兵を伏せていたので

福原氏は重臣共々討ち取られた。

軍師としての官兵衛の抜群の戦功に秀吉は大いに喜び

信長より拝領した名馬を官兵衛に与えた。


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書写山 仁王門(におうもん)


江戸初期の建物。両脇に仁王像が立つ。
向かって右側が口を開いた「阿」像、左側が「吽」像。

一対で「あ・うんの呼吸」をつくり聖域の守りとなる。
これより先圓教寺境内。三つ棟造りの仁王門。(兵庫県指定文化財)
仁王像は、姫路市指定文化財。


【コメント】
さすがは趣のある仁王門でした。
色んなロケが出来そうです。
この日は雨だったので、それがまたよかったと思います。