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軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。


■【戦国TV】寄付によって史跡を保護し、後世に戦国のロマンを伝えるTV


かんべえくんロープウェイ。


軍師官兵衛ロケ地でございます。


①現況
兵庫県姫路市の姫路城の西北約6㎞に位置する、
海抜371mの山上にある。史跡地に指定された境内は、
約18㌶と言われる、東西に1㎞の細長い形で、山間を利用して建物が点在している。
康保3年(966)性空上人によって開かれた、比叡山と同じ天台宗の修行道場の寺である。


②歴史上の天災・人災

 ○元徳3年(1331)雷火の為三之堂と周辺の諸堂焼失。

 ○天正6年(1578)秀吉乱入し本陣とする。帰途仏像その他多数持ち去る。この頃まで
  27000余石の寺領を有していたが、秀吉によりすべて没収。500石だけを施入される。
  後1000石になるが、江戸に入り833石となる。

 〇明治元年(1868)明治維新、833石と境内を含む山全体が国に没収される。

 〇昭和16年(1941~1945)太平洋戦争による荒廃。

書写山WEBサイトより。


この日は霧が出ていて、とても幻想的でした。
当時の武将は、きっとこの霧にまぎれて軍勢を動かすのでしょうね^^



摂津の国、高山右近の高槻城に行ってきました!

生田斗真さん演じる高山右近。
キリシタン大名として有名です。
洗礼名はポルトガル語で「正義の人」を意味するジュスト。


高槻の街並みです。
駅前は商店街や飲食店も多くかなり賑やかですが、
すこし外れるとのどかで住みやすそうです。


駅からお城跡に向かって歩いていると・・・
おや、教会が!


近づいていくと・・
「カトリック高槻協会」さん
おじゃましました。


中には、高山右近の像があります。


像の下部分です。


高山右近と協会。
いいショットです!


壁にも絵がありました。


教会を後にして、さらにお城へ向かう途中には
「高山右近天主教会堂跡」の石碑があります。


その隣にはお城の門の跡がありました。


続いて「高槻しろあと歴史館」へ!


珍しい展示です、石垣の下の構造がよくわかります。
基礎には木が入っていたんですね~


賤ヶ岳の戦いにも参戦した右近。
(羽柴秀吉VS柴田勝家)


やはりロザリオなんかも発掘されています。


さらにはミイラまで!
キリスト教内でも位の高いミイラらしいです。
27体発掘されたそうです。


もちろん鉄砲や、


刀や、


甲や、


甲冑もあります。
最近甲冑を自分でも作るのでわかるのですが、
実に良く出来ています。紐の通し方(縅し方)
が素晴らしいです。

・・・歴史館も跡にして、いよいよ城跡へ!


高槻の中学校はお城風なんですね~いいな~


はい、到着です!


もちろんここにも高山右近像。
後光が差しててみえない><


右近の熱心な布教で、
2万5000人の領民の内、1万8000人(約72%)が
キリシタンになったと言われています。


徳川時代にはキリスト教が禁止になりその後マニラへ。
そのマニラで大歓迎を受けます!

が、しかし長い船旅の疲れや、気候の違いで、
到着後40日ほどで病におかされ息を引き取ります。享年64。


「生涯」
■主君
松永久秀→和田惟政→荒木村重→織田信長
→豊臣秀吉→前田利家→利長

住まい
■高槻→明石・小豆島→金沢→マニラ

信仰を守ることと引き換えに領地と財産をすべて捨てることを選んだ
高山右近。一体どんな思いだったのでしょうか。




■【戦国TV】寄付によって史跡を保護し、後世に戦国のロマンを伝えるTV

『軍師官兵衛』で官兵衛の父、
黒田職隆役で大活躍されていた柴田恭兵さんですが、
「武田信玄」では長尾景虎役として出演されていました。

打って変わってギラギラしていますね。


京都の三条河原です。
この日は豪雨により鴨川が濁流となって荒れました。


橋が架けられた時期は明らかではないですが、
天正18年(1590年)、
豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として
石柱の橋に改修されました。


近隣の川岸はかつて「三条河原」と呼ばれ、
処刑や処刑後の晒し首が行われた。


「ここで処刑・晒し首にされた著名な人物」

石川五右衛門 -
安土桃山時代の著名な盗賊。
1594年(文禄3年)8月25日、釜茹での刑に処せられた。



豊臣秀次と、その妻子側室侍女 -
1595年(文禄4年)7月、豊臣秀吉より謀反の疑いをかけられ
高野山で切腹した後、三条河原へ豊臣秀次の首が運ばれた。

首が据えられた前で妻子侍女など39名が処刑され、
秀次の首と共に1か所に埋められ見せしめの塚が作られた。

この塚は角倉了以の高瀬川開削時に塚と石柱が見つかり、
現在も瑞泉寺の境内にある。


石田三成 -
安土桃山時代の武将。
1600年の関ヶ原の戦いに敗れ、
捕らえられ六条河原で斬首刑となり、
三条河原で晒し首にされた。



近藤勇 -
新撰組局長。1868年(慶応4年)4月25日、
板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられたあと、
首が運ばれ三条河原で晒し首となった。


と、さらし首の名所でもあったようです(>_<)
(普段はとても穏やかな川ですよ)
※写真が見にくい箇所がございますm(_ _)m

柴田恭兵さん演じる黒田職隆。
とてもいい父親像を演じておられました(>_<)


黒田職隆さんのお墓はこちら。
住宅街にひっそりとあるようです。


地元の人に守られた立派な廟です。


アップです。


柴田恭兵さんは「筑前さん」と呼ばれていた様です^^


「筑前さんは地元住民に親しまれてきました。」とあります。


息子の官兵衛に家督を譲ると、
こちらの(右の山)妻鹿国府山城に隠居しました。


妻鹿国府山城はこちら。
小高い山城です。



妻鹿城跡です。


木に腰掛けたまま・・


眠るようにお亡くなりになりました(>_<)


黒田職隆廟へのアクセス
山陽電車「妻鹿駅」下車 徒歩10分です。

ぜひ一度お参りしてみてください。
きっと優しく諭してくださることでしょう。