1999年、世紀末と呼ばれたこの年に、私は劇団暁座に関わった。
もともとは、とある劇団の代表の方から、
「お前に協力をしてもらいたい団体がある」
ってことで、見学をしたのがキッカケだった。
当時の劇団の名前は「素人劇団暁座」で、その名前のように素人の方たちが集う言わばサークルだった。。。
「えっ…。こんなところに関わるのは嫌ですよ!」
まず第1声にその紹介者に言った言葉だったけど、
暁座の代表金子さんの障害者であっても芝居をしたい!
という真っ直ぐな眼差しに、いつしか団体の制作を請け負うようになった。
もちろん、収入のない暁座からはタダでの依頼。
当時のオフィス カンナ・ビスのメンバーからは大反対で、
もうそれは杉咲さんの趣味としてやってくださいっ!!
と突き放されてしまっていた(汗)
それまでうちの連中には、仕事としての依頼以外は受ける意味がない!と言ってきた私の言葉を、
自分自身でひっくり返してしまった結果だ…。
自分自身の言葉をひっくり返し、反対を押し切ってまで続けてきた劇団暁座。
この暁座という中で、多くの人たちと出会ってきた。
また私の人生観や考え方に影響を与えてきた。
その暁座から、来月をもって制作という職務から退くことになる。
辞めるわけではないので、これからも継続して、顔は出して行こうと思ってはいるが、
これからは一参加者として参加をさせていただくことになる。
私の制作としての稽古参加もあと1回。
有終の美を飾りたいものだ。
ってなかんじで、今日はこのへんで!
もともとは、とある劇団の代表の方から、
「お前に協力をしてもらいたい団体がある」
ってことで、見学をしたのがキッカケだった。
当時の劇団の名前は「素人劇団暁座」で、その名前のように素人の方たちが集う言わばサークルだった。。。
「えっ…。こんなところに関わるのは嫌ですよ!」
まず第1声にその紹介者に言った言葉だったけど、
暁座の代表金子さんの障害者であっても芝居をしたい!
という真っ直ぐな眼差しに、いつしか団体の制作を請け負うようになった。
もちろん、収入のない暁座からはタダでの依頼。
当時のオフィス カンナ・ビスのメンバーからは大反対で、
もうそれは杉咲さんの趣味としてやってくださいっ!!
と突き放されてしまっていた(汗)
それまでうちの連中には、仕事としての依頼以外は受ける意味がない!と言ってきた私の言葉を、
自分自身でひっくり返してしまった結果だ…。
自分自身の言葉をひっくり返し、反対を押し切ってまで続けてきた劇団暁座。
この暁座という中で、多くの人たちと出会ってきた。
また私の人生観や考え方に影響を与えてきた。
その暁座から、来月をもって制作という職務から退くことになる。
辞めるわけではないので、これからも継続して、顔は出して行こうと思ってはいるが、
これからは一参加者として参加をさせていただくことになる。
私の制作としての稽古参加もあと1回。
有終の美を飾りたいものだ。
ってなかんじで、今日はこのへんで!