劇団暁座の制作終了の日が近づくにつれて、この団体に関わった最初の頃を思い出した。


バリアフリーとノーマライゼーション。
聞いたことはあったけど、暁座に来てから認識した言葉だ。

バリアフリーは一般には施設や道路等の形あるものに使われる言葉だけれど、暁座は違った。

「心や気持ちのバリアフリー」

障害者を障害者として見るのではなくて、
障害者と健常者を分けるのではなくて、
ごく普通に接している人たちと同じように関わりを持つこと。

それが暁座のバリアフリーだった。


まっつんと呼ばれる目の見えない方もいる。
そのまっつんの前にタオルが落ちてしまった。
でも誰もそれを拾わない…。

「まっつんタオルが落ちちゃったよ~。はい。どうぞ。」
なんて絶対しない!

「まっつん前にタオルが落ちたよ。もっと右。もっと!あっ!行き過ぎ!そう!それ!」

これが暁座。

もちろんまっつんに出来ないことはあるわけで、みんなはそれを分かってる。
だからムリなことは言わない。

でもそれは相手が障害者だからじゃない。
知り合いや友達にでも、無理なことは言わないのと同じ。


障害者だからって特別視することが本当のバリアフリーやノーマライゼーションじゃないと思った。
そもそもその特別視自体が「バリア:見えない壁」なのだということを、暁座から教わった。


だから暁座は障害者劇団なんかじゃない。
一般の障害者劇団のように、健常者がお世話なんてしない。
誰も障害者を障害がある人とは思っていない。
障害ではなく、それは特徴なのだから。

あの食べ物の餃子と同じ。
特徴がものすごく強い素材。
特徴があまりない素材。
そんないろんな素材が1つの暁座という皮に包まれることで、素晴らしい味になる。

それが暁座なんだ!


もし暁座がただの障害者劇団だったら、間違いなく私は関わっていなかっただろう。


正直なところ、ここに関わるまでは、障害者という存在が怖かった。
でも暁座に関わったことで、その考えが変わった。


普通。

特別視もなければ、また避けもしない。

普通。

ノーマル。



そうしてくれた暁座。

本当にありがとう…。


ヤバい!
朝から涙が出そうだ…。


そうなる前に…。



ってなかんじで、今日はこのへんで!