1/21は満月らしい。

小さい頃、月ってものは妙で、なんでずっとついてくるんだろうと思っていた。
少しばかり大人になったくらいには、月がなんだか憎らしくて、か細く頑張ってる星の光を隠すんじゃねーよーとか、そんなに煌々と光ってる割に、親指一本で隠れるんだからなー知らんぷりをしてんじゃねーとかなんだかひねくれた見方をしたり。

月に何かされた訳ではないけど、確実に月に何かをかき乱されたりしたりして。

反対の太陽って、私の中ではそういう存在ではない。
太陽見て、あーーーーってなるのは飲みすぎた朝。それも夏。昇るのが早すぎる太陽…ダメな私を照らさないで…なんてその場は思いつつそこまでいったら記憶もぼんやり。
そんでそんなぼんやり頭で昇ってきた月に向かって、なんでこんなしょっちゅう会うのかしらと思っていたりした(20代のころ)

太陽が昇ってる間は、作られてきた日々真っ当なことをしなきゃ!という感覚があって、多分、そう動いてきたんだけど、日が沈んで夜が来て、その暗がりを太陽のように照らす月は、なんだか近しいものに思えてたのかもしれない。
だから憎しんだりして、ごめんよ。 
好きだから憎しいのだ。

太陽は眩しすぎる。


今日、一歳半の娘と夜ちょっこし歩いてて、月が綺麗で、あれ月だよーって言ったらさ、
「月!いた!!」って言ったんだ。
一歳半ながら、なんとなく動くもの、動かないものの区別はつくらしく、例えば木だったら、「あった」犬だったら「いた」とか言うんだけど、月の場合は「いた」でした。
動いてるように見えるのかな。
そのうちに、親指で月を隠す過程を娘が辿るのかもしれないと思ったら、むずがゆくもあり、誇らしくもあった。

その時もきっと、月は知らんぷりをしててくれるだろう。



月が綺麗すぎる海辺で作った曲の歌詞を


『真夜中の口笛』

思ったよりも声が遠くに響いているって知ったのは
君が吹いた真夜中の口笛のせいだよ

さざ波と口笛と君がかすかに歌う音を
この海にあの月が沈むまで聞きたいな

贅沢に時を使って
ゆっくりと夜に溶けよう


君が吹いた口笛が風に流されとけてった
少し淋しそうに笑う君を月灯りが照らす

ああ、こんな時間が長く長く続くように
祈る僕の声を波音がかき消してくれた

ああ、こんな時間が長く長く続くように
祈る僕に君は
淋しそうに笑う

水平線にゆっくりと月が重なり海が染まる
あともう少しだけ
あともう少しだけ

君が吹いた真夜中の口笛が聞きたいな

君が吹いた真夜中の口笛が聞きたいなぁ

暑すぎた夏。
子供がいると夏の暑さってのはまた一味違う感覚になる。
あー、暑いぜベイビー、で終われない。
常に移動に必死になる。
なんてったって大都会東京のコンクリートジャングルでは照り返しって暑さが身長70cmほどの我が子を襲う。
大人が参るほどの暑さなんだから、小人達にはさらに脅威になるでしょう。

んなもんだから、今年の夏はわりと引きこもっていたりして。

なんて言いながら去年の夏もそう言えば引きこもっていたんだっけな。


去年の夏よりは蝉の声を聞いた。
そして、去年の夏よりは夕立の音を聞かなかった。

テレビからは様々な地域の豪雨の爪痕が聞こえてきたけれども、私が住む東東京の南部は幸いなことに極端な雨は少なかったように思う。

これはもちろん幸いなことだけれど、もっとゲリラとか乱暴な雨ではなくて、夏の風物詩みたいな、そんな雨。
それすらも今年は少なかった。

うだる暑さをさらう雨。
街の夏を、リセットしてくれる雨。
そんな雨が少なかったから、今年はずーーーっと、一生夏が続くのかとさえ思ってしまったな。


ようやく今日は少し涼しい。
蝉の声も今はもう聞こえなくて、リンリンと虫の声だけが秋の気配を感じさせる。
それでも日が差すとまだ暑くって、灼けたアスファルトの匂いが申し訳なさそうに残暑を指さすのだ。

早く嗅覚と聴覚が一致する季節になりますようなに。

もしかしたら、そんな日は二度と来なかったりして。




『蝉のうた』


蝉が消える夏の終わり
最後の歌が今は始まる
蝉が消える夏の終わり
空の雲だけ真夏の名残り

君が消える夏の終わり
女々しい僕が泣き始める
君が消える夏の終わり
君の香りを秋風がさらう

一人ぼっちでないてる蝉と僕
聞いてる人もいないのに
一人ぼっちでないてる蝉と僕
伝える人もいないのに


蝉が消える夏の終わり
新しい虫が泣き始める
蝉が消える夏の終わり
しまい忘れた風鈴が一鳴き

君が消えて秋の始まり
手持ちぶたさな左手が冷える
君が消えて秋の始まり
遠くで蝉がまだ鳴いてる

聞いてる人もいないのに
伝える人もいないのに
7日目の月が欠けるまで
歌い続ける君は美しい








キタムラリョウって歌うたいがいる。

三重県出身で、今は大阪を拠点に歌っていて、同い年で、尊敬する歌うたいで、そして何より大切な友達。

思えば出会い方は随分と雑で、幡ヶ谷36°5で飲んでいるときに、お互いカウンターの端と端とかで飲んでいたのだけれど、声のでっかいここのオーナーがそういえば…的な感じでお互いを紹介し始めてくれた。
しかしながらあまりにも急だったもんだから、お互い特に喋ることも見つからず、なんかどうでもいいこと言われて、なんだこいつって思ったのが一番最初。

それから何年かして、私が初めての関西ツアーに行った時に、改めてキタムラリョウに出会った。
改めて会ったキタムラリョウは、自分の大切な仲間にたっくさん囲まれて、そんで仲間の歌う歌達を愛おしそうに聞きながら酒を飲んで、そんで笑ってた。
その夜に何を喋ったか、なんて実はあまり覚えてないんだけど、翌日神戸で歌うよって言ったら、なんかついてきた。




そんな風に始まった友達。
くっだらない話も、真面目な話も、本気でできる友達。
くっだらないことも、真面目なことも、本気でできる友達。
朝までお酒を飲んだり、ギター弾いたり、スーファミやったり、夢を話したり。



キタムラリョウは、三重県出身で、大阪を拠点に歌っていて、同い年で、尊敬できる歌うたいで、今ではお互い家族が増えて、大切なものが増えてきっともっとカッコ良くなった、大切な友達。


キタムラリョウの歌は、風のようで、水のようで、土臭くて、人臭くて好きだ。キタムラリョウの歌は、きっと彼の人生で溢れている。でもその溢れる中には、聞く人の人生にリンクする部分もあるから、彼の歌にしみじみと入っていけるのだろう。
いつももっと聞きたいと思うけれど、たいてい東京でのライブは30分。
もっと聞きたいし、聞いてもらいたい。


何が言いたいのかと言うと、
『キタムラリョウのワンマンライブ』
が、
東京は幡ヶ谷36°5で、あるよ。



{E6B91CD8-D175-4931-877C-A75811B0DF2E}


ありがたいことに、O.Aとして私もこの日ステージに一年ぶりに立つことになった。

東京ではめったに見れないキタムラリョウのワンマンライブ。

酒でも飲みながら彼の歌を一緒に聞きましょう。


私の大切な友達の歌、うまい酒飲みながら聞きましょう。


予約はキタムラリョウにでも、

幡ヶ谷36°5にでも、

私にでも大丈夫。


5/2、幡ヶ谷36°5で会いましょう。



{164AF3FD-8698-4096-A0AD-726991A696DC}