西洋占星術の年齢域の話。
結婚して娘が産まれた頃は火星期(35〜45歳)で、感情を燃やす必要がある時期だった。
年齢域はあくまで目安で±数年とは云うが、そろそろ火星期を卒業した実感が出てきた。
天秤座火星の悪い面を、何とかやり過ごせた感。
ふぅ…やれやれ。
おなじ星を持つ人に申し訳ないから云うと、星の悪い面が目立つのは私の火星の環境と使い方の問題。
天秤座火星を上手く使えた例は木村拓也、櫻井翔、美輪明宏、フレディーマーキュリーなど。つまり、良い悪いの振り幅が大きいのだ。
悪く出た人の例は…言わないでおく。
次の木星期(46〜55歳 ±2歳)は、双子座、12ハウス。
広く浅く学び、人と出会うべき時。
何らかの発信も良さそうだが、何せ12ハウスなので、あまりメジャー路線は狙わずにマニアックで辺境なところがいいのだろう。
少し前まで、実力のある方からセラピストサポート受けて占い師稼業をバリバリ頑張ろうと思ってたんだけど、正直「何かが違う」感が拭えず、最近はメンターと距離を置いて、これからの方向性をゆっくりと考えている。
いや、悪くはないんだけどね、すごく、王道なんだよね。メンターの売り方の方向性が。
マジで正統派なんだよね。
大概の人にはそれが合うと思う。
でもね、どう考えても私のキャラ、マニア向けだよね?
王道のフリは出来るけど違和感で苦しくなるんだ。楽しくないの。
ココナラの自己紹介もメニューも、自分であって自分でない感じ。こんな感じに書くといいよと言われるままに書いて、自分自身でツッコミどころいっぱいあるよ…これは…ちょっと…私じゃないなぁって。今後自分なりに開拓していこうと思う。
先日、以前から気になっていた、ある実践的な資格講座を申し込んだ。
医療福祉系の国家資格も検討したし持っていれば邪魔にならなそうだが、現場の実態、実践とはかけ離れていることにより、学ぶこと自体がストレスになるそれらよりも、こっちのほうがいいかな…と。思った。
もう何かを学んだり、理論はいいかな。
自信の無さの為に資格や権威を目指さなくてもいいかな。
とも、散々迷ったのだが。
双子座木星は学びの拡大や知識の周囲への伝達らしいと、改めて自分の年齢域を読む限りでは、実践が出来るならアリなのかなと。
頭でっかちの分かってるのに出来ない人から、行動の人になるための、体験、身体を使った学びであるならば。
何より質の良い仲間に会えそうなのが魅力。
初めからすごい人、もう出来上がってる人なんて別に求めちゃ居ない。
ただ、常に出来ない言い訳をし続ける人ではなくて、変わろうとする人と共に変わりたい。
その為の仲間が欲しい。
畑で採れてそのままの泥だらけの大根じゃなくて、ちゃんと洗って皮剥いてアク抜きして料理して他者に提供したい。
汚いままの自分を愛してとか?
いや、もうそこは卒業してますよ、いくらなんでも。
自分磨きもせずに自分を見つけてくれる人、選んでくれる人を待っても、その質は知れてる。
その境涯と同じくらいの人しか来ない。
仲間も友人も、知り合いも取引先も、互いにメリット欲しいじゃん。
takeばかり求める人間が人に好かれ、求められる訳がないよね。
あと数年でキロン•リターンじゃん…
「傷付いたヒーラー」キロン。
牡牛座キロン•ドラゴンテイル•リリス合11ハウスの使い方も考えて行かなくてはならないのだろう。
蠍座天王星•ヘッド合5ハウスにオポジションで睨まれてますけど。
キーワード。
個人的な欲求と社会的ニーズの折り合い。独自の理念の確立。多様性の尊重、か。
自分を殺して他者に尽くしてはダメなんだろうね。癒されない上に、使命に即して居ない。
いや、そこは分かって来たんだけどね。
カルミネート牡羊座月10ハウス、未だに使いこなせず。このままじゃ勿体ないのかなぁ?
仕事運、本来は飛び切りいい筈なんだけど。
別に慎ましく生きれば専業主婦の名を借りて引きこもりしても生きられなくもない環境になってしまってモチベあがらず。
ゆっくり娘と向き合ってもいいのかなとか思ったりもする。
星的にはもう少し、いや、もっとかなり仕事運、行ける筈なんだけどね。
今の自分は星から見て「不自然」なんだよね。
本当は天才か気⚪︎いか紙一重な人間な筈なのに、何故か真ん中にいることが。
まあ、蓋あけたら普通の人に擬態しただけの、ダメ人間なんだけど。
オポジション天秤座ステリウム4ハウスのやたら暑苦しい倫理観の星々に睨まれ抑圧された、実はかなり直情的な牡羊座月。ちなエリス合。
根がクソ真面目なじゃじゃ馬。アバズレ。
まるで左ハンドルのスポーツカーみたいに、乗りこなすのが大変な星で、生きてるうちに乗りこなせる自信は正直、ない。
ただただ途方もない気持ちになるけれど、仕方がない、慣れた。
ネイタル、トランジット、シングルチャート、ダブルチャート、色々話が混ぜこぜになるかもなんだけど…
スクエア、オポジションの質についての考察。
スクエアの質って切り捨てるとか、切り刻むとか、軽蔑するとか、幻滅するとか、破壊するとか、徹底的に忌み嫌うとか、排除とか、容赦ない殺伐とした絶望感がある。
悪に遭遇するか、蛇の道は蛇と、自分も悪に染まっていくしかないような。
オポジションの質って、破壊と同時に再生があって、乗り越えるとか、そんな感じ。
それだけ聞くとスクエアよりも、救いがあるようでマシような気もするけど、中途半端な救いが腹立つのもまた、オポジションなんだ。
憎んでも憎みきれないような。真綿で首を絞められるような、死にきれない。楽になりたいのに。
スクエアは嫌って仕舞えたら、悪にしてしまえば楽だけれども、オポジションは、どんなに憎たらしくても、それでも愛さなければならない、赦さなければならないって宿命が宿っているようで、それが辛い。
スクエアは赤の他人の宿敵で、おのれ!って感じ。
オポジションは家族の因縁、ウンザリって感じ。
まてよ?
もしかしたら、魂がヤワな人はこの説明を聞いてもオポジションとスクエアの違いが全く分からないかも知れない。
この記事を読む余裕のある占星術好きみたいな人は、まだ理解しそうだけれど、
今時の若い人とか特に、
とにかく「イヤ、きらい。知らん。」と拒絶して
そこで思考停止する人の方が多かったりするのかな?
スクエアを許すことって、一番高度なことなのだろう。だからこそ、
同時に、逃げてもいいんだと思う。
犬に噛まれたと思って、不運だと思っていいんだと思う。
それでももし、逃げなかったら、逃げなかった人だけが見える世界が、きっとあるのだろう。
だけど。
オポジションは逃げることは許されないし、必ず自分を深く省みなくてはならない。
スクエアは理不尽。
オポジションは宿命。
その人に起こる災難、出来事は、
スクエア的だったりオポジション的だったり、両方あると思うのね。
スクエア的なことはできるだけ忘れるのが良くて、
オポジション的なことは、反省するしかない。
それでも、もし、一つ一つの前世の記憶を全て覚えていたら、全部オポジション的出来事になってしまうんだけどね。
例え、あなたは何一つ悪くないよって100人中、99人に客観的に擁護してもらえるようなケースであっても。
そのことを、最近ある師との出会いで悟りました。
ああ、覚えてなくて良かったわ。
恐ろしや。苦笑