現実
入院開始🤕昨夜から始まりました断食コース🍚水も無し💧3日間は水も無しはきついね😰いよいよ本日のお昼から手術ですが〜目が覚めた時にはあちこち痛いんだろうなー😣🤕と。でも!もしかしたら、、、痛み止めの投与によって現在の体の痛みが軽減できる日を迎えられるかも????なんて淡い期待をしてみたりします(^^)どちらにしても1秒も体の不快感が無くなった事がないので、そんな期待をしてもいたり…まぁ痛み慣れをしてしまってるのか?病院にも慣れてしまってるのか?今から起こる事に関しては頭の中の抵抗感は無い感じではいます。慣れってのは恐ろしく…そんなもんなんすねー🔥きっと辛いでしょうがねーで、今日はこんな話。【現実から目を背けない強さ】こんな機会なので、現実なお話を。僕は生まれながらに身体のあちこちに病があったから、それなりに未来に覚悟をして生きてきました。その現実を受け入れているからこそ、強く生きて来れたとも思っています。とにかく不健康だから、精神が強くなったんだと思えます。小学生でも、一度も人前で泣いたことがなかった。不健康には見えないでしょうから良いのですが。実際、健康に関しては、母達も常に悩みの種でありました。高橋さんの事を母に紹介した時、「体が悪い子だけど大丈夫?」「苦労かける事になるけど大丈夫?」そんな事を母が確認してたのを思い出します。「息子の健康面の現実を受け止めてくださいね」そんなメッセージがあったわけです。なんか凄いメッセージですよね。だからなのか、僕も現実を受け止めて生きてきたと思います。リアル、リアルそんな事をブログでも良く書きますが、現実主義なんだと僕は思います。「現実」それはつまらない表現ですが、妄想やファンタジーな感覚は少ない性格だと。映画でも、ファンタジーは見ようとしないし。ゲームもしない。YouTubeでも、学びになること以外は見ようとしていないです。つまらないやっちゃなー!って感じですが現実から目を背けないで生きているタイプではあります。小学生の頃から社会に出るのは絶対だと思っていたから、社会に出る為にと勉強をしてきましたし、社会に出る事は絶対なのに「どうして、その準備をしていかないのか?」そんなふうにすら周りを見て思ってしまっていた幼少期でした。とてつもない現実主義で、堅苦しい思考だったと思うけど、僕は本当にそうでした。逆に、いつまでも中二病の様に、妄想癖な人を見ると驚きます。現実をどうやったら見ないで済むのか?それがわからない感覚でもあります。頭の中でファンタジーを楽しむのは良いのですが、妄想でハンドルを握られても怖いだけの様に見えてしまうのかなと。夢は大いに語って良いけど、現実を叶えるための努力をしない人には若干、冷めて見ていた様にも思います。とは言え、経営者で言えば、ファンタジックに捉えていたりもします。売り上げは一切見ないし、損益計算書なんていまだに見れない。学んでみようとしたことすらない。経営や戦略に関する知識は薄くて、「スタッフの幸福度」「お客様の幸福度」そんなファンタジーな事しか目標にしていません。心の現実を見てるのかもしれません。数字なんて気にもしないで、なんとかここまでやってきたんですよね。生きてる事に関してはどうなんだろう?「必ず死ぬ日が来る。」そんな事を普通の子供よりは体感しながら生きてきたとも思います。自分は長生きできる体ではないなと。だから、命ある限り燃やし尽くそうと決めているのだろうし、「尽くす」と言う意識が強いのだとも思う。時間は有限であり、カウントダウンしていて今日をどう生きてるかに焦点を当てています。現実を見て強く生きていると思う。近年は、その寿命を伸ばすべく手術に挑み続ける為にと、皆様にはご迷惑をかけてしまいましたが、サロンワークも少し離れ、軽井沢に行きました。それなりに時間にも限りがあると思っているからでしょうか、ずっとポジティブに挑めているとも思います。今年で47歳。もしも、もしも50歳までしか生きれないとしたら?そんな現実があるとしたら、僕は何をして、僕は何を残すのだろうか?そう考えている所もあるから、諦めず、戦い続けているのだとも思う。例えどう考えても、やっぱり体はキツいのですが。。ブログでも、こうして弱音を吐ける様にもなったけど、体が癒えることは無いのも現実です。まともに気持ちよく眠れた日は一度も無い人生。体だけではなく、誰かのことを背負ってる部分でも、負荷は常に襲いかかってきています。経営者になれば、心に背負うものもあって当然。でも、それで良いと願っています。現実と向き合い、僕の生きる意味を強く思っていないと挫けてしまう気がするから。体の苦しみが不幸なわけではない。誰かのことを背負うことが不幸なわけではない。もしも、いろんな事が健康なら、もっと違う現実があったかもしれませんが、今が今の紛れもない現実ですからね。望んでも意味がなく、今の僕の持っているカードでどう生きるか?を考えることなんだと。僕の生きる意味。その答えは「大切な人に悲しい思いをさせたくないから。」これだけが、僕の強く生きる最大の意味です。その生きてく事の強さが循環し、自分に充実感として帰ってくるから。大切な人とってのは、僕の事を支えてくれている人全てです。僕を支えてくれている皆様。こんな僕の近くにいてくれる仲間。家族。そんな人たちを悲しませたくないからまだまだ生き抜くんですよね。それが無ければ、リタイアした方が楽だと思うのも不思議ではない。それが無ければ、挑むことなんてしなくなるだろうと。だから、美容も、子供の時も、今も自分の出せる限界を出し、苦労だとしても努力し続けてきたと思います。やれるとわかってるならば、やり切らない方が苦しいから。それが喜びに変わっていたから。今から手術。また来年も手術。その先もまた手術。きっと、爪を剥がすなんて何にも思わない感覚の様に繰り返すのかと思う。だけど諦めることなく笑顔で迎えられる様にと生き抜くはずです。皆さんもそんな現実と直面する時が来るし、今、そんな現実と戦っている人もたくさんいると思います。生き抜くことが絶対的な正しさではないから。力は抜いていてほしい。だけど、今日も生きてるのならば、明日を迎える思いを描いていて欲しい。すごく大事な現実な気がするし、いつ何が起こるかわからないですよね。今回の手術の目的は胃の調子を治したいのでは無いし、美味しくご飯食べるためではないんです。炎症の原因を抑えたいのと、普段、薬を飲みすぎているることで他の臓器も悪くなってきたからです。「そこには胃の状態も関係しているのでは?」と。そんな淡い期待と可能性のためだけにやります。効果が出るかどうか?それも3割くらいな気がする。それでも、少しでも普段の薬が減り、少しでも臓器への負担が減れば幸い。もしも、効果が無ければまた、挑み続けるしかないんです。胸の手術もそう。絶対に必要でやったわけではないんです。いろんな負担を減らすために選択した事。心臓、肺、胃、膵臓、肝臓、腎臓。どんどん悪化してるからそれらを防ぐためにも必要と感じた選択。地獄の痛みを背負ってしまいましたが生き抜くためには致し方ないと思っています。目も耳も喉も口も鼻も脳も。指も脚も首も肩も手も腰も。悪くないところが一つも無いじゃないからそんな体だからこそ、使い倒すだけ。それが僕にはとても贅沢な事なんです。意識的に時間を使い倒していられるから。だから、もっと長く生きていける様にと。生きてる時間をしっかりと使い倒し、目の前の人にエネルギーを届けていこう。だから毎日に励みたくなるのです!多くの人には届けられないけど目の前の人にだけでもと。退院したら、そのままサロンワークをさせていただきます✂️退院が間に合わなかったら申し訳ありませんが💦自慢の回復力で復帰します💪僕はその日をすごく楽しみにしています🏋🏼♀️エネルギーが減っている様に見えて、実は一番エネルギーに満ち溢れている時な気がするんですよね🔥本当は無理をしているのかもしれないけどその無理をすることでのエネルギーは凄まじい物があると思っています!なのでご心配なく、心地よくお迎えくださいね🫶2年前の大手術、退院5日があたりに仕事に行きましたが、あの時のエネルギーは本当にすごかったなーと思います!2週間前に50箇所も骨が折れ、バーが2本も入っている状態でサロンに立つ。やれる様な気がしたから挑みましたが、お客様と会えた時。髪を切れた時。底しれぬ「生き抜くエネルギー」がありました🔥そこなんですよね。僕の期待している部分。ギリギリの状態でも山頂に辿り着くエネルギー。これに触れた時、自分がとてつもなく大きくなれる時な気がします。その現実を目の当たりにしながら、また明日、また明日へと繋げられるのかなと。まだまだ若いですが若いからこそ思う「生き抜く」という現実なんだと思います。それでは行ってきます!そうそう!いつも麻酔をかける時、「どこまで寝ないでいられるか!!」と自分の起きてようとする意識と戦う事を楽しんでます(^^)26年前、初めて全身麻酔をした時はMAXのガタメキラがかかっていたね♪今日はなんの曲かな?本日も楽しんでいきましょう!