中世・戦国時代の政治経済史研究の雄・黒田基樹氏の「戦国関東の覇権戦争」(洋泉写、2011年)を買ってしまいました。

サブタイトルは「北条氏VS関東管領・上杉氏55年の戦い」。

太田資正が生きた時代を、北条対上杉の関東の支配権・統治権をかけた覇権抗争の枠組みの中でダイナミックに描き出す野心的な通史です。(読み出したら止まらず、通勤中に読み終えてしまいました)

黒田基樹氏は、バリバリの研究者。それ故に、この本の中では、随所に最新の研究成果が反映されています。しかもそれらが自然に結び付き合うような形でたまとめられ、通史となって紡ぎ出されています。

私は、太田資正のことを調べるため、二、三ではありますが、黒田氏の論考(「岩付太田氏」収録の論考等)を読んだことがあります。論考の中では、書状や家系図、寺や神社の文書、更には墓碑を照合し、歴史の真相を炙り出すプロセスが取られていますが、「戦国関東の覇権戦争」ではそれらの論考の結論の部分が繋ぎ合わせられ、大きな流れとして描き出されていました。

通史というのは、こうして産み出されるのかと感動してしまいました。

加えて黒田氏が凄いのは、その文章力です。
研究者らしく押さえた筆致ではあるのですが、歴史を動かした(あるいは捺し流されていった)人々のさまざまな想いが伝わってくるのです。その気になったら、小説も書ける方なのだと感じました。

一流の学者が、最新の研究成果を体系化しつつ、そして小説家ばりの文章力を以て、一般人が読む通史解説書にまとめてくれている。

本好き、歴史好きにとって、これほどありがたいことはありません。

惜しいのは、こんな良書が、大きな書店であってもなかなか目にしない(神保町の三省堂書店、新宿紀伊国屋書店でも目在庫が無く、丸の内オアゾの丸善で買いました)くらいマイナーな扱いになっていることです。この書が属する新書シリーズ(洋泉社歴史新書)がマイナーなせいでもあるのかもしれませんが。残念です。



さて、我らが太田資正ですが、北条対上杉の抗争氏の大きな流れ、うねりの中では、残念ながらやはり二番手、三番手の登場人物ですね。時代の流れを作っていったのは、やはり後北条氏の当主たちであり、上杉家の当主たちです。資正は、そうした大きな時代の渦の中で、少しばかり個性的な振る舞いをした中規模領主というところです。それは認めざるを得ません。

ただ、黒田氏も、岩付太田氏については自ら複数の論文・論考を物してきた方だけに、資正の面白さには精通した方です。抑えた書き方ながら、資正の存在の特殊さを示唆しています。

今私が駄文を綴って書こうとしている、天文16年~17年にかけての岩付城攻防戦の結末を黒田氏は、こう記述します。

氏康は従属してきた上田朝直に対しては所領を安堵し、松山城については重臣塀和伊予守らを在城させた。太田資正については、岩付城とその所領・家臣にすべてについて安堵した」(p.65-66)

上田朝直と太田資正に対する氏康の処置の違いが、さりげなく淡々とですが、明確に描き出されています。

内通した朝直の城には重臣を送り、その統治を制御しようとしたのに対して、一ヶ月以上籠城して対抗した資正には、その領国経営に深く手を入れるようなことはしなかった氏康。

氏康が、“太田手強し”の印象を持ち、完全に屈服させるよりは、懐柔しつつその力を利用しようとした姿を、私はここから想像したくなります。
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