元気です。


スマホが壊れて機種変更し、このブログへのアクセスを久しぶりに確認しました。


自分の周りの世界は、あれから大きく変わりましたが、元気に生きています。



片足の大腿が落下すると、逆側の足が腸骨筋で引かれる。

この時、腸骨筋で引かれたこの逆足を、大腿筋膜張筋で垂直にあげると、腸骨筋の伸展がさらに大きくなり、これが弾くことで膝が正中線に急速に寄る。

これが、撞木立ちでの前蹴り(あるいは回し蹴り)であり、ナイファンチの波返しなのだと思う。

空手流派のいつかで行う、回し蹴りの予備動作としての、膝を外に開いての蹴り足挙げ。
あれは、
・その後の大腿の内旋が無ければ、
・そして支持足大腿の落下があれば、
波返しに近いのではないか。

支持足大腿が落下し、蹴り足大腿が大腿筋膜張筋で垂直に挙げられた瞬間、腸骨筋の伸展が最大に。

このエネルギーの放出の一つが、蹴りなのだろう。


一年の始まりとして、素晴らしい正月元日、、、かと思いきや、寝る前に最悪の大喧嘩。

難しいですね。

妻は、私の息子に対する態度に不満。
私も、妻の息子に対する態度に不満。

実の母のような愛にはならない。それは当然。
では、どうすれば?

手探りで答えを見つけたつもりになっても、それは答えではなかったと気づかされる。

安寧は遠い。
自分がやっているのは、最悪の子育てなのかもしれない。

父子家庭時代に、ウソで誤魔化せるという成功体験を積ませてしまい、再婚によって新しい価値観を持ち込んだ継母がウソを次々暴いていくことに、彼はどこかで憤慨を覚えてしまっている。

正しいことを言われても、心の深いところでは受け入れていない。

死んだ母のぬくもりのあった父子家庭時代の思い出は、バレぬウソを付けば「まあ辻褄はあっているな」と引き下がる父親との日々。
それも含めて、彼にとっては懐かしいぬくもりになっている。

死んだ母の残り香の中での生活を取り上げられた息子には、ウソはダメだという父の厳しい態度も、裏切りに思えているのではないか。

それでも、ウソはダメだと言うのが親の務め。

1ヶ月やそこら、向き合ったくらいでは解決しない心の闇がある。

挫けてはいけない。

愛をもって、厳しくあらねば。
引っ越してからの最大の悩みは、息子のウソのエスカレート。

辻褄を合わせるウソを平気でつき、宿題を隠し、テストを隠し、電車用に与えていたスイカのチャージでお菓子を買い(それ自体はいいのです)そして買ってないとシラを切りと押す。

1ヶ月間に渡って連絡帳を改竄して、算数の宿題を無かったことにして、「ウソじゃない!」と真剣な顔でのウソをつかれた時は、息子に対する信頼が崩壊しました。

1ヶ月、粘り強く向き合い、まだ出てくる、まだ出てくる、、、というウソの数々に失望を重ねながらも、やっとクリアランスできたと思っていました。

しかし、またウソが発覚。

健気且つ強気な態度が、そうすれば親を誤魔化し切れると踏んでのことであったと知るのは、辛いものです。

振り返れば、ウソをつく癖は、前の妻が生きていた時から。早くから言葉が達者だった息子はよくウソをついたまま、それがバレても認めようとせず、津室合わせをしていました。

それがエスカレートしたのは、父子家庭時代から。
男ひとり親では、綻びを見つけることもできず、息子のウソはどんどん巧みになっていきました。

再婚によって親の目が四つになり、次第にウソがばれるように。

それがわかった時の辛さは、、、

しかし、向き合って信頼の崩壊と再構築をしてきたつもりでした。

それなのに、また長く隠すウソ、そして健気さアピールでそれを隠そうとする振る舞いが。

どうしたらよいものか。
ある決断が契機となり、家庭に安らぎの空気が流れるようになりました。

気持ちに、こうしたゆとりが出たのは、この一年半で初めてかもしれません。

しかし、この安らぎは、ミニマムな人間関係の中でのみ成り立つもの。

家族三人、それぞれの職場と学校、そしてご近所づきあい。

これ以上広げると、また弾けて爆発することでしょう。

今はこれが精一杯。
広げりはミニマムですが、初めて流れた安らぎの空気を大切に育てていこうと思います。

新しい家族のカタチもようやく出来上がったかな、と思っていたこの頃でしたが、妻は深い悩みの中にいるとわかりました。

家族の“世話”に時間を取られ、それが生活のすべてとなってしまうことで、「私の人生はなんなのか」と悩むママさんは多いと思います。

妻の悩みもまさにそれなのですが、“普通のママさん”以上に答えが無い状況。

普通のママさんであれば、夫にムカつきながらも、二人で過ごしてきた日々が支えになり、また二人三脚で作ってきた夫の飛躍や社会的成功も、幾分は慰めになることが。

子ども達にも頭にくる日々ですが、やはり自ら生み、赤ちゃんの頃から育ててきた彼らの成長そのものが喜びになることも。

しかし、妻にはどちらもありません。

夫と過ごした二人の日々はありません。
はじめから三人ですから。

夫もある意味で、はじめから完成品。それは完成度が高いという意味ではなく、スタイルが確立されてしまっているという意味で。

子どもには、優しく接し、成長を促しますが、そこにあるのは人類愛や博愛であり、大人として一方的に与える愛。本人にとってエネルギーの放出であり、そこからエネルギーを得るものではありません。

そう、妻は、家族のカタチを保つために一方的にエネルギーを放出しているのであり、保たれた家族のカタチからは一切エネルギーが得られていないのです。

私と息子にとっては、三人で過ごせる家の時間がエネルギーの源となっていますが、妻にとってはそうではない。

この一年半、潜在的にずっと存在し続けてきて問題。時に激しく噴火してきましたが、今回は静かな告白。

そして、彼女の中で、被害者意識の塊となった自分を叱り、鼓舞してきたある哲学との決別があったのが今朝。

果たして、ここからどうなるのか。

都度都度対処しながら、時間が解決していくのか。
それとも構造的、本質的に無理なことに挑んでいたことが、時間とともに明確になってくるのか。

どちらかはわかりませんが、前者と信じて進むしかありません。
昨夜帰宅して、息子の「英語音読」の宿題を聞いてみると、とにかくひどい。

アルファベットも読めないし、ローマ字レベルの子音+母音で日本語の五十音が生まれる感覚も無い。

理解の手がかりが全く無い状態で、英語で書かれた会話文にカタカナルビがふられたプリントを音読。

で、読み間違える。

これはひどい。

まずは、abcd…とアルファベットの形と読みを本人に書き出させて確認し、子音+母音でローマ字学習レベルの日本語五十音が生まれる構造を確認させ、その上で、ローマ字理解を越えた発音が生まれる英語のフォニックスを体感させ…

半ば怒りに任せて二時間ほどスパルタ指導をしたら、最後には、カタカナルビ無しで、
What do you want?
I want potatoes.
How many?
Two, please.
Here you are.
Thank you.
が音読できるように。

最初は混乱していた息子も、途中から、少なくともアルファベットの組み合わせで音が生まれることは腹落ちしたようで、理解の取っ掛かりが得られたようでした。

叱り続けの二時間でしたが、それを見ていた妻は、「なんだかね、怒られているのに嬉しそうだったよ」。

妻から見た昨夜の息子は、「お父さんが時間を割いて時間と向き合い、どうしていいかわからない混乱から自分を引っ張り上げてくれようとしている」、と感じている風であり、それを嬉しく思い、食らいつこうとする気迫を見せていた、と。

そして、「最後は、アッ!わかった!という顔をしていた」。

四年生になってから、空回りすることの多い父親による勉強指導ですが、今回はじめて機能したのかも。

東京に出てきてから、塾の存在を前提とした小学館教育のあり方に親子で戸惑い、半ば劣等生になっていた息子。
埼玉時代のセルフイメージが大きく崩れ、その理由も、建て直し方もわからず、彼自身が苦しんでいた部分もありました。

それがもっとも顕著に現れていたのが、英語。

これがターニングポイントとなるとよいのですが。
深夜帰宅。

ガレージで、永らく埃を被ったままだった六尺棒をふと振ってみる。

昨年、第一回沖縄空手国際大会に背伸び参加した時をピークに(その後生活の変化もあり)崩れていた六尺棒の打ちが復活した手応え。

背中で振れています。棒が速い。そして止めることなく振り抜ける。

スランプ抜けたか?!
あまりの仕事の忙しさに、このところ頑張っていた夕食時の帰宅を断念。

家では、妻と息子のふたり食事。

かかってくる電話。

二人だけだと、ミスコミュニケーションが発生し、電話越しに私が会話に入らねばならないことに。

妻に家を任せて仕事をする。世間の同世代が(良し悪しはあれ)当たり前にしていることが、今の私には、これが難しい。

毎回ではないが、二回に一回はこうしたことが起こり、妻のため息で電話は切られる。

平和は来ない。簡単には。

職場でどう思われようとも、早く帰らねば。