世の中、素晴らしい方はいるものです。

「清水中世史研究所」(http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1181712/1202329)さんが、異本小田原記の一部、太田資正とその息子・梶原政景に関して記した部分をワード形式でまとめ、無料で公開してくださっています。
http://taroukun-rekishi.cocolog-nifty.com/blog/files/ihonn-odawaraki-yori-batusui.doc

公開してくださっているのは、
・岩付太田味方になる事
・梶原小田城を取る事
・梶原母を盗出す事
の三篇。

小田原の後北条氏の視点で書かれたこの軍記物ておいて、太田資正(三楽斎)と息子・政景が、好敵手として名将として、実に清々しく描かれていることが分かりました。

資正・政景親子の武勇や知略が優れていたことはもちろんなのでしょうけれど、「敵ながらあっぱれ」の精神を貫く日本の武士道精神の気高さも感じます。

「岩付太田味方になる事」には、関東の大半を制した北条氏に従わず、あくまで衰退し越後に逃げた関東管領・上杉氏に忠誠を尽くす資正の心意気が描かれています。そして、息子・氏資に裏切られ、岩付を放逐されてからの「岩付て、、、」の和歌合戦には、国を失って尚、北条何するものぞと気を吐く資正の姿が鮮やかに浮かび上がります。

「梶原小田城を取る事」と「梶原母を盗出す事」では、父と瓜二つの息子・政景が、小勢にて小田城を攻め落とす快挙や、小田原に捉えられた実母を取り返すハリウッド映画ばりの勇気と知恵の溢れる活劇が紹介されています。

北条氏の大勢力を前にした太田資正・梶原政景親子の活躍は、巨象に挑む鼠のごときものだったはずです。しかし、異本小田原記の記述を読むと、小勢を苦としない痛快な振る舞いにより、親子は敵からも、認められる存在だったことがよく分かります。

気分の良い古典読書となりました。